ブログネタ:3万円あったら何に使う?【投稿でドットマネーがもらえる!】
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初体験…甘酸っぱい響きだが、今回の初体験はすごくヘビーな
精神的なものだった。
事の起こりは先週の金曜日。
オットが月に一度の5日間出張から帰宅した夜、
いつものように眠る前に『明日の予定』を考えながらベッドに入ったのね。
『明日から甥っ子の友達達が泊まるからアレをやって…
朝はコレを食材で仕込んでおいて…ああ、オットが持ってきた工具みたいなのが
玄関に放り投げてあったから片付けて、カーペットの油汚れを染み抜き…
えーっと、猫達の健康診断が午前10時だから、8時には掃除をしなきゃ…
あ、明日の夕方からジェイミー(オットの元同僚)が来るんだっけ!
結婚のお祝いカードを用意しておかなきゃ。
甥っ子の友達達とジェイミーは一緒の夕飯でいいわね…
ああああ、お向かいの家に駐車場を借りる挨拶に行くんだったな。
あの人、糖尿だからクッキーは持っていけないから、お茶セットだわね…
庭のトマトが熟れてたから、明日の夜にでもトマトソースを作らなきゃね…
あとは…えーっとアレをやって…水道も…バラして修理しておかなくちゃ…』
・・・と、『アレしなきゃコレしなきゃ』と考えつつ
最近知人から聞いた
アメリカ生活を始めてから働き出して知り合った年配のお客さん達が
この数年で次々に亡くなっている事を思い出していたら
いつの間にか眠っていたのよ。
朝、オットは近所の自動車オークションを見に行っていて
甥っ子は友達を迎えに行っていて
一人、家の中で目覚めた私。
目覚めた瞬間に異変を感じたの。
心臓のあたりに、強靭なクモの糸が張り巡らされたように
胸が苦しく、鈍い痛みがしてたまらない。
目の焦点が狭くなり、視界が暗く感じる。
息も浅く短くしか出来ず、手足は小刻みに震える。
そして何より、今まで味わった事のないような絶望感でいっぱい。
恐怖心から震える手足をものともせずに
階段を駆け下り、ブルブルしつつ水を一杯グラスにつぎ
飲もうとするのだが、手が震えてほとんど胸元にこぼしてしまう。
携帯電話が運よくキッチンにあったので、オットに電話したが
出ないのでメールし、親友に電話するも仕事中で電話に出ない。
死ぬ時の孤独感が、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
とにかく絶望感と孤独感しかなく「このままじゃダメだああああ!」と
家の外、駐車場へ文字通り這い出る。
が、土曜日の朝なので、近所中が教会へ出かけてるのか
道には誰も見当たらない。
悪夢のようだった。
冷たい地面に這い出たせいか、脇腹が攣り
「いたたたた!!!」と今度は家の中にズリズリと這い戻る。
玄関のすぐ横の部屋で、唸りながら のた打ち回っていると
オットが「どうしたの?!」と帰宅し、駆け寄ってきて
「ERに行くよ!」と抱えあげてくれたが
急に涙がこみ上げ「わあああん」と大泣き。
そのまま抱えていてもらう形に。
そしてオットは、何を思ったのかビニール袋を私の口に押し当てた。
「吐かないよ」と押しのけたが
「息がしやすいよ」と再度、押し当てられたが
その時にはもう息苦しさがなかったので
「邪魔くせー!」と床に投げ捨てさせてもらった。
時間的に30分ほど一人でうんうんと苦しんだようだ。
そして、帰宅したオットに抱えられて10分ほどした頃
先程、電話した親友が「着信があったけどメッセないし、どうしたの?!」と
心配声で電話をくれ、急に足元から
すーっとあの不安感と孤独感、恐怖心が抜けていったように感じた。
私はてっきり自分が心筋梗塞を起こしたのだとばかり思っていたのだが
オットが冷静に、色々質問をしてきて一言。
「マミちゃん、それ、パニックアタック…。」
ビニール袋は正しかったのだ。
そこで私も何がおこったのかわかった。
パニック症候群。
まさか自分がなるとは思いもよらなかった・・・。
ワーワー泣きながら、オットに
「すげー恐かった!イヤ~なナマズとかに生きたままで飲み込まれたら
あんな感じかもって思ったあああああ!わあああああ!」と
説明し、オットも深く頷きつつ
「掃除、ボクがやるから・・・」と穏やかに言い
私はオットに対して、18年目で初めて心底
『この人は頼りになるんだな…』と思った。
一応すぐにホ-ムドクターに、電話して症状を言ったら
やはりオットと同じ回答で「パニックアッタクみたいね」と言われたが、
来週早々に検査に来なさいねと予約をいれてくれた。
一体、何がどうしてこうなったのかと、すぐに
パソコンで調べたら、同じような症状になった人の体験記がわんさか。
ストレスが原因らしいが、自分では皆目 何がストレスだったのか
わからない。
つらつらと自己分析して、色々と自分で自分をしばりつけていたせいだな、と
思い当たった。
気管支炎が出たせいで、億劫がって、友人とも会っていなかったし
近所の数少ないお付き合いも参加していなかった。
そのくせ一人で
『アレやらなきゃコレやらなきゃ』と自分で目一杯に
なんだかんだとルールを作り、詰め込んでいたのだ。
症状もわかった。
パニック症候群の発作がおきても、死ぬ事はない。
発作の最中のあの絶望感や孤独感は言いようもないが
人の心や感情のヒダの深さ、複雑さが よくわかった。
人間って、どんな人も、何て繊細で難しくて片意地をはって生きているのだろう。
なんて面白い生き物なのだろう。
現実に病気ではない身体に、あんな異変をおこすなんて
心と精神っていうのは、なんて大きな…いや、サイズなんてないモノなのだ。
だから、もしまた発作が起きても
次回は、その最中にどこまで自分が
あーんなワケのわからないモノに振り回されるか試す気もマンマンだ。
もっとわかりたい。
実際に、パニック症候群で苦しんでいる人も知っているし
本当に悩んでいる人達には申し訳ない言葉ばかり書いたと思う。
病気と付き合っている方々の恐怖心と、先の見えない治療を思うと
胸が痛む。
その方達の御家族や、回りの方々の心の痛みと
やるせなさも思うと…ね。
私も、おそらく、この先付き合う病気なのだから恐いけれど
覚え書きのつもりで書いた。
ああ、オットにも気苦労をかけたくはないけれど。
でも、あの時に感じた孤独感・絶望感を、その最中にどうやって乗り越えられるのか
私は知りたい。
その好奇心のほうが強い。
人前でおきたら?
おきたら、おきたで仕方ない。
しばらく、のたうって床に転がり「「パニックアタック中ーー!」と言う。
私のやり方は決定した。
実際に起きたら、またギャアアとなるだろうけれど
冷静になった時に、罪悪感や自己嫌悪に落ち込むのでは?という
不安はなくなったように思う。
パニック症候群の発作を味わった今、新しい世界が見えてきた。
自分を追い込むクセはなかなか治らないだろうから
きっとまた、アレはやってくるだろう。
非常に抽象的な言い方だが、頑張るしかない。
頑張るからいけないらしいが、普段の私は怠け者なので
自己満足しつつ頑張るのだ。
今の人生、目をしっかり開けて、どんな事も味わって
咀嚼しまくってやるわ!!
色々な事をもっと知れば、いいのだ。
知らないから、恐怖は生まれて、無駄な武器・武装が増える。
知って余裕が出来れば、気楽に構えて、笑える事って多い。
そういえば、私のダディ(義父)は生も死も深く知っているから、いつも笑っている。
笑って、私やオットの失敗を許すのは、いつか自分が味わった思いがあるから
じゃないだろうか。
私も、あんな風に笑えるようになれるのかしらね…無理っぽいわね…
オットは、きっとなれるだろう。
あと30年くらいしたらね。
ところで、初めてのパニック症候群を味わった土曜日のその後。
オットに、発作が起きた事を誰にも言わないように約束させ
気を遣ったオットが掃除機をかけてくれている間に
50cm以上ある牛タンを焼肉用にさばき(超気持ち悪いがウマイっす)用意し
ブタの塊をさばいて、トンカツを20枚ほど揚げ、巨大なキャベツを千切りにし
アメリカっぽいバカでかステーキを数枚焼き
カボチャを煮付け、サラダや炊き込みご飯や、おにぎり、お味噌汁を作り
フランスパン3本でサンドイッチを作り・・・
今回は甥っ子の友達は全員が日本人だったので
豚肉だー魚介類はダメだーなんていう宗教上のタブーがなかったので
肉祭り開催だったわ。
甥っ子の友人達とゲラゲラ バカ話しをして
久々のジェイミーとの再会に大泣きしつつ話し込み
夜中に「うーん小腹がすいた!」というヤングなヤツらに
「じゃ、大鍋でカツ丼作るか!」とご飯を炊き、大量のカツ丼を一緒に食べ
グッタリ疲れて、オットと2人、ベッドに入り爆睡。
20代前半5人+46歳・50歳で、12kg以上の肉を食べたわ…
お米なんか10合炊いた上に冷凍庫の冷飯まで。
翌朝も、ヤングな彼らは胃もたれも胸焼けもなく
カツ丼の残りに大量の白米、牛肉のそぼろレタス巻きなんかを
ワサワサと平らげて遊びに行ったわ。
バンバン食べてくれると楽しくて嬉しいね。
色々な事柄、行動前はストレスを感じているのかもしれないけれど
いざ動き出すと楽しい事ばかり。
うーん、やはり精神と心のヒダは複雑だわね。