原点みたいな感情の事。 | 日々

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とくになし

クリスマスの思い出、教えて! ブログネタ:クリスマスの思い出、教えて! 参加中


まー、物欲や性の祭典みたいに騒がれる昨今のクリスマスだわね。

思い出すのは、ケーキに乗ったマズイ砂糖菓子のサンタさんかしら。


バブル時代は、金儲けの日だったわ。

仕事ばっかりだったわねえ。

結婚後は…義理パパの家で過ごすならば、教会三昧の日。

オットとギフトの包みを盛大に破って、ダラダラ食べ続けるパジャマの日。





思い出らしい事と言えば…昭和50年頃だったかしら。

私が現役バリバリの子供だった5歳の12月の事。

珍しく母が「ママンの友達の家に行こうー。」と

言ってきたのよ。


かわいいヒラヒラの洋服を着て

電車に乗って、横浜の駅前デパートで

おみやげのケーキなど買い求めたついでに

母は機嫌良く「マミちゃん、クリスマスに好きな物買ってあげるね。」と

言い出したの。


母は、サンタさん童話を信じこませるような教育方針ではなく

『クリスマスは何か買ってやるからちゃんとしてなさい』っちゅー

現実主義で、資本主義な感じだったのね。

いいぞ、ママン!




おとなしい子供だった私は、誰の手を煩わす事もなく

母の友人宅訪問の滞在時間は過ぎ、

暗くなってから、ようやく帰宅となったの。


その帰り道、師走の混雑した横浜駅付近で

思い出したように母が

「あ、今、オモチャ屋さんに行こうか!好きな物買ってあげるって言ったもんね。」

と、楽しげに言ったのよ。



普段は憂鬱そうにしていた母が

元気に一緒に外出なんぞしてくれた嬉しさもあって

私も多少浮かれていたのよね。


いつもなら選ばないようなオモチャを「コレ欲しい!」と

指差したのよ。


それはね…『お子様メイクアップ・セット』

口紅とマニキュアとチークらしきものと

櫛と・・・何やら色々「女の子が憧れる」ようなものが

詰め込まれたおもちゃセット。



オシャレな母への、媚もあって選んだの。

イヤに大人の顔色を窺う子供だったからね。

子供らしいって思って欲しかったんだわね、多分。

で、私自身、そんな風な自分を内心恥じていたのよ。



大きな箱に入ったその「媚びて選んだおもちゃ」を抱えて歩きながら

心の中で『本当はあの大きなスケッチブックと色鉛筆欲しかった…』と

思ったの。


絵を描くのが好きだったけれど、普段は広告の裏側だけで

画用紙は自由に使ってはいけなかったからさ。

あの大きなスケッチブックに描けば

本当の画家みたいなモノが描けるんじゃないか・・・

そんな風に思ったのよ。


私は、後悔しつつ『お子様メイクアップ・セット』のきらびやかな箱を

暗澹たる気持ちで両手に抱えつつ歩いていたの。

混雑した横浜駅前を意気揚々と歩く母の後を必死で追いながらね。




ダイヤモンド地下街の入り口だったかしら。

そこに、ホームレスのおじさん達が

ボンヤリ座っているのが見えたのよ。


その中には、小さな子供もいたの。

ボロを着た子供ね。

あの時代はまだ居たのよ、そういう子供が日本にも。



その子を見た瞬間に

『こんなチャラチャラしたもの買ってもらって恥ずかしい』と思ったの。

『欲しくもなかったのに』って、強烈に自分が嫌になったのよね。



で、突然、母の後姿に小声で言ったのよ。

「ママ…あのお…これ、あげてもいい?」

当然、母は何の事やらわからずに

「え、なあに?」と足をとめて私を見下ろしつつ聞いてきたわよ。

「このオモチャ、あの子に…」と、しどろもどろで言う私に

「ダメ。何言ってんのよ。」と、イラつく母。

「うん…」と、言いながら大きな箱を隠すように持ち直して

また後ろめたい気持ちになる私。


そんな内向的な子供だから、刃向かう事もなく

ただ居心地悪く、また母の後をついて

混雑した電車に揺られて帰ったのよね。

あの子のボンヤリと人々を眺めているような表情を

思い出しながら「ああ。あの子は男の子だからコレはいらないか・・・」

なんて思ったりしつつ。


あの時『こんな服着て、こんなオモチャまで買ってもらって

なんて嫌らしいんだろう、私は』って、ただ惨めだったのよ。


少し無理して買ってくれた母への感謝ではなく

それを与えて貰っている自分の立場を恥じたのね。

5歳くらいって、どうにもならない無力感をすごく味わうんじゃないかしら。




子供って、そういう極端な思考にいきなり陥るのじゃないかしらね。

正義感などではなくて、ただ自分を恥らう。


『明日、学校でトイレ行きたくなったら・・・』

『昨日、知らないでカタツムリ踏んじゃった・・・呪われたらどうしよう』

『鮭を焼いてる匂いがするけど、皮がついていませんように…』

『目が見えなくなったらどうしよう…』

急に、そんな事を思いついては不安で困ってしまうけれど

『ドリフが始まるけど、お婆ちゃんは水戸黄門を見たがるな。チェ!』

と、小さな怒りにも振り回されるのよ。


きっと、あの子も同じような不安や諦めを味わっていたんじゃないかと

今は、思える。

環境的な違いはあっても、子供特有の不安感は似たものだろうよ。





とにかくあのクリスマス直前の夜。

あの子のボンヤリした瞳は私の中に小さな「種」を落としたの。


大人になって『境遇』『環境』『持って生まれたモノ』なーんて

便利な言葉が脳裏に浮かんで、逃げたくなると

あの子のくれた「種」が、存在感を出してくれる。


ボンヤリと人や景色を眺めている子供。

どこの国にも沢山いるの。

ただ、そのボンヤリもね、満ち足りてボンヤリしているのか

無気力にならざるえなくて…なのかの違いがある。


大人の都合で無気力になって、ただどこか見つめるしかない子供。

そんな感情の瞬間を、関わった子供達には

少しでも味わう時をやわらげられるならば何かしたいと思うのね。

空回りでもいいのよ。

自己満足だって言われてもね、それに腹が立たないくらいに

面の皮は厚くなったもの。



もちろんニューオリンズの町によく居る『はしっこい小生意気な』

全身で生きてる子供だって沢山居る。

会うたびに嬉しくなる位、元気をわけてくれるのよ。

黒人の子供特有な、大きな瞳は光と澱みを表しやすいの。


あの師走の夜が、私の原点のひとつ。



AmebaGGクリスマスパーティー

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