訪問日:2022/3/12
【場所】滋賀県大津市
【築城年】1571年
【築城者・改修者】明智光秀
【城郭様式】水城・平城
【主な城主】明智光秀、丹羽長秀、杉原家次、浅野長政
【見所】①石垣(琵琶湖湖中、渇水時のみ見学可能)
【廃城年】1586年
【御城印の有無・販売場所】
坂本観光案内所
【アクセス】
JR湖西線比叡山坂本駅下車徒歩30分
【駐車場情報】
坂本城趾公園(無料)
【周辺観光施設】
比叡山延暦寺、琵琶湖
1571年比叡焼き討ちの後、京と比叡山の抑えとして織田信長公が明智光秀公に命じて築城されました。その後光秀公は坂本城を拠点に近江国、丹波国の平定を成し遂げます。しかし本能寺の変後の山崎の戦いに敗れ勝竜寺城より坂本城を目指すも農民に襲われ叶わず、安土城より坂本城へ戻った明智秀満公は、堀秀政公に包囲され城に火を放ち自害してしまいます。その後丹羽長秀公が坂本城を再建し賤ヶ岳の戦いでは軍事上の拠点として使用されています。1586年豊臣秀吉公の命で浅野長政公が大津城を築き居城としたたため坂本城は廃城となりました。宣教師ルイス・フロイスの著書「日本史」によると安土城に次ぐ天下第二の城と称される程の規模であったと考えられますが、当時の遺構は市街地化により消滅してしまいました。今回の訪問では訪れることができませんでしたが、西教寺と聖衆来迎寺に坂本城の城門が移築されています。
坂本城趾公園に建てられた石碑、坂本城趾公園は城趾から少し離れたところにあります。無料駐車場も整備されていますが、電車での訪問では最寄りの駅から離れている為、坂本観光案内所にてレンタサイクルを借りて訪問しました。
明智光秀公の像
坂本城案内板
石碑
坂本城の石垣が沈んでいる湖面、渇水時のみ石垣を見ることができます。坂本城趾公園から案内板に沿って徒歩3分程の所にあります。
二の丸跡に建てられた石碑