あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
─第1ペテロ5:7
聖書は世界を造られた創造主である神様が、その時代その場所に様々な立場の人を選ばれ、その人の経験や言葉を使って文字にしたものです。
製作期間としては紀元前から数えて4,000 年以上かけた、神様が人類宛てに書き記した「わたしはこういうものだ」という内容66 巻を1冊にまとめたものです。
今回のペテロの手紙第1が書かれた時代は、西暦で48 年か49 年頃だと推定されています。
イスラエル本国から散り散りになってしまった同じ信仰を持つ同胞や、他国民でも同じ信仰の人々に向けて書かれています。
当時、この信仰を持つ彼らはローマ帝国によって逮捕監禁されて処刑されたり、仕事に就かせてもらえず飢えるばかりなどの強い宗教弾圧、人種弾圧と迫害に晒されていました。その苦しみの中にいる人々に向けて、神様であり人類すべての救い主であるイエス・キリストの使徒として、ペテロという人が彼らを励ますために書き送った手紙です。
今この時の私たちも、同じような事が起きています。私たちの体や心は、病いから攻められて、風前の灯のように、私という存在そのものが危うい状況にあります。
この危機的状況において、私たちは何に寄りすがっていけばよいのかを学んでいきます。
思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい
思い煩いとは、いろいろ考えて悩み苦しむことをいいます。
私たちは病気がわかった時、まるで地獄に叩きつけられたような気持ちや、目の前が真っ暗になる感じ、どうやって家に帰ったか覚えていないという状態になったりします。こういう経験をされた方もおられるのではないでしょうか。そしてさまざまな事を考えます。
「私がなんでこんな病気にならなくちゃいけないのか」
「過去にこうだったから、バチがあたって病気になったんじゃないか」
「ずっと健康に気を配ってきたからこんな病気になるわけがないのに、誰のせいでこんな病気になったのか」
など、過去の事をたくさん考えます。
そして悔いたり絶望したりするだけでなく、誰かに攻撃的に当たってしまうことだってあります。そうするとさらに自分で自分を批判してしまい、どんどんと悩み、苦しみが増してしまいます。
この苦しくて辛くて悲しい思いをずっと自分ひとりで抱えているのは、本当に心身ともに耐えがたい苦痛です。
友達に相談するにしても、内容が重たすぎると思われると聞いてもらえなかったり、あるいは心配されすぎて普通に接してもらえなくなったり、家族に気持ちを打ち明けると、その家族の自由な活動を私が制限させてしまう…そんな事も心配になりますから、言いたくても言えない状況になることもあります。パウロはそんな思いを、すべて、神様にゆだねなさいと言うのです。
「ゆだねる」とはお任せするのではなくて、原語のコイネーギリシャ語では「投げ掛ける」という意味の単語が使われています。
「思い煩いをすべて神様に投げ掛ける」。これは、自分が抱えている苦しみ、悲しみ、怒り、絶望、憂いなどの苦しい思いを、神様のその手の中に全部渡してしまうことです。
神様は皆さん一人ひとりの事をよくご存じです。
ですから、皆さんが何を悩み、何に苦しみ、何を不安に思い、何を心配しているのかをすべて知っておられます。そんな神様は、その思いを敢えて自分に投げ掛けてほしいと思っておられるのです。
神があなたがたのことを心配してくださるからです
紀元前は神様の言葉を預かって人々に告知する預言者という人によって「救い主が来るぞ」と預言されてきました。そしてマリアという女性のもとでイエスと名づけられた赤ちゃんが生まれて、彼はご自分がキリストである・救い主であると宣言して、過去から旧約聖書上で記されてきていた預言どおりに逮捕され、過去も現在も未来の人類までもすべての人が、「神様に背を向けてきた」という罪をすべて引き受けてくださって、私たちの身代わりになって神様に呪われた者として十字架にかけられて、死んで、墓に葬られて、その三日後によみがえって、40 日あまり弟子たちと共に過ごして、それから天に帰られました。
イエス様が来てから、創造主である神様と私たちの関係は、親子の関係になりました。
イエス様は創造主でもあり、また創造主のひとり子でもあります。ですから創造主とイエス様は親子関係なのですが、イエス様と同等の子供として、イエス様を通して、私たちも神様と親子関係にしていただけています。
幼くて弱い我が子が苦しみ悩み悲しんで助けを求めている時、父である皆さんは、母である皆さんはどうしますか。
放っておきますか。
「自力で何とかしなさい」と我が子が伸ばした手を振り払いますか。
そんなことはしませんね。
みなさん、自分に出来る精いっぱいの事を幼い我が子にしてあげたいです。
神様も同じように、それ以上に、みなさんおひとりおひとりの事を我が子として見ておられます。ですから、神様は皆さんを助けたいのです。
神様は皆さんに頼ってほしいのです。
ぜひ、みなさんの苦しみ、悲しみ、不安、その思いを神様に投げ掛けてください。お父さん助けてと、ゆだねてください。
神様はあなたのことを大切に思ってるから、あなたのすべてを世話します
古代ギリシャ語では、この箇所は「神様はあなたのことを大切に思ってるから、あなたのすべてを世話します」という意味で書かれています。
創造主である神様は全知全能、あらゆることをご存知で、あらゆることが出来て、私たちには到底理解しきれない、世界のすべてを統括している方です。その神様が、みなさんを我が子として、まさに目に入れても痛くないほどの大切な愛しい子供として見ておられます。
私たちは本来、神様への背きの罪の刑罰を免れることはできない者です。そんな私たちを我が子として愛してくださる神様は、ご自身のひとり子で、一切の背きの罪のないイエス様を、私たちの身代わりにして罰せられて、私たちが受けるべき罰を免れさせてくださるほどに、私たちを愛しておられます。
形ある物に頼っても、それはいずれ経年劣化や衝撃を受けると、崩れて壊れてしまいます。
いい事を言ってくれる人に頼っても、こちらがその人に必要以上の期待を寄せすぎると、自分の理想がかなわない時に私たちは「裏切られた」「騙された」と感じてしまいます。ですが、神様は揺るがないものです。
この神様が、みなさんを大切に思うからこそ、悩み、苦しみをすべて聞いてくださいます。
そして、もっとも良い時、良い形で、神様は手を差し伸べてくださいます。
こんなふうに困ってる、これが心配、どうしたらいいのかわからない、助けて──人に言うと愚痴になることも、神様に言うとそれは祈りとなります。「困った時の神頼み」という言葉がありますが、そのように、困った時だからこそ、神様に訴えてください。それは祈りとなって神様の耳に届いて、神様はあなたに目をとめて、神様はあなたにとって一番良いという時に、良いというものを与えてくださいます。
ですから、安心してみなさんの思い煩いをすべて、神様にゆだねてください。
主よ、あなたは頑丈なゆるぎない避難場所です
ハレルヤ!愛する天のお父様、御名をあがめ感謝します。
私たちはそれぞれに病を抱え、苦しみ、叫ぶ思いでいます。この思い煩いを、主よ、あなたはすべて耳に入れてくださり、私たちを心から心配してくださることをありがとうございます。
あなたは私たちとって大きな砦、頑丈なゆるぎない避難場所です。
どうぞ、私たちをその大きな御手でかくまい、おまもりください。
弱い私たちの一人ひとりを覚え、その体に御手を添えてお癒しください。また心にも御手を添えて平安をお与えください。
このメッセージをすべて主にお献げして、救い主イエス・キリストの尊い御名を通して感謝して祈ります。アーメン。