今回はエンディングノートについてお話したいと思います。
最近はなんでも短く省略することが増えましたね。
就職活動は就活ですし結婚するために様々に活動することも婚活と呼びます。
同じように、人生の終末について見据えてどうするか動くことを終活と呼んでいたりも。
この中で私が頻繁に言うことがあります。
それは「元気なうちにエンディングノートを書いておきましょう」です。
私自身は40代、まだ命にかかわる病にはいませんが、エンディングノートを所持しています。
ただ持っているだけではなく「元気なうちに書こう」なのです。
なぜ「元気なうちに」なのでしょうか。
まず、書く項目が膨大だからです。
あなたの基本情報だけでなく、病床に誰を呼んでほしいのか、誰は呼ばないでほしいのか。
また死後に連絡すればいい人は誰か。
葬式はどの形式なのか、予算はどれくらいでどこでやるのか。
誰を呼ぶのか。葬儀が終わった後連絡すればいい人は誰なのか。
墓はどうするのか。どこにするのか。散骨にするのか。
保険は?株は?借金は?パソコンやタブレット、スマホなどは?
死後連絡しておくべき団体やサークル、企業などはあるのか。
新聞に載せる?
などなどなどなど、本当に数多くの項目があります。
これらの項目を、心身ともに疲弊している状態で「さぁ書こう!」とは思えないのではないでしょうか。
また、遺産など残すものがある場合、冷静な判断が必要とされることでしょう。
すべて法的な分配で良いならそうと書いておくといいでしょうし、遺言書にもそう一筆あるといいですね。
しかしそうではない場合、こうしたいという意思表示をしておかなければ残されたほうは大変です。
遺産相続は親子だけでなく兄弟姉妹で壮絶な戦いになりますが、これが借金だった場合でも大変なことになります。
お金がからむと本当に絆が立ち消えるほどのトラブルになります。
これらも、病床で心身が思うように動かず、倦怠感が強い状態であったり嘔気嘔吐で苦しかったりする場合、そんな時に冷静に穏やかにこれらの項目を書けるかと言えば、無理と言わざるを得ません。
ですから、「元気なうちに」です。
命にかかわる病気を患っていなくても、いやだからこそ、その元気な時こそ、書いてほしいと私は思っています。
そして時々読み返します。
年齢とともに考え方は変わっていきます。
PCを「家族が使ってくれてかまわない」という思いから「電源起動もせずに叩き壊してほしい」とか「○ドライブは見ないで完全に消してください」になるかもしれませんね。
そうなった時は、そのように書き直せばいいんです。
なので鉛筆書きになりますね。
エンディングノートは遺言書のように法的拘束力はありません。
あくまでも意思表示をしているノートです。
しかし何もないよりはあなたの気持ちを残しておけます。
書店でも売られていますし、ネットで探せば様々なニーズに適したものがあります。
物は試しに、と一冊手に取られてはいかがでしょうか。