その2

個人的には、見付かったときの状態が悪すぎたのでここまでよくもったな、という感じで。最初の抗がん剤はそれなりに効いたけど8クールが最大。2種類目は副作用が強すぎて中止したのは想定外でした。
脳転移が複数見付かり、治療か緩和ケアを選ぶ際も「どうしたらいいか分からない」と。最初から緩和ケアには行きたかったようですが、『家族のために』と治療を選択したようだとMSWから聞いた時は意味が分からなくて。そういう世代の人だけど、自分の人生を最後ぐらい生きて欲しかった。

緩和ケアに行くことに決めて受診した時には緩和ケア医は「ヤバい」と判断したようで、スムーズに転院が決定しました。受診から1週間しないで転院。
転院した23日に電話をくれたんですけど出られず。15分後にかけ直したときは母は出ず。前日の電話が最後になりました。

看護師長から父へ、早く会わせたい人に会わせておいた方がいい、という話があり予定を早めて帰省。
亡くなった26日は、前日から地元に帰っていたんですけど『東京から来た人は3日待機』ルールで会えず。誰も死に目に立ち会えず。ひとりで旅立ってしまいました。
帰省した段階で『母が私に弱みを見せたくないなら会えないんだろうなー』と思っていたので、でしょうね、っていう感じです。
私を待つ、ということは痛みや苦しみを長引かせることでもあるので会いたいけれど待って欲しくなかったし。

緩和ケアの医師の見立てと転院前の病院の医師の見立ての解離は、もう少しどうにかならなかったのかな、とか、緩和ケアに対する正しい知識がないんじゃなかろうか、とは思いますが。(緩和ケアに対する知識が乏しい医師が多いのは事実)
コロナなのに、医師からの説明に対してZOOMでの参加を希望したのに断られたのは、時代遅れだな、とは思います。

一番びっくりしたのは、主治医から脳転移の説明の時に(前提として胸水の貯まる場所が増えて水が抜けづらくなっている)肺の話を医師がそこまでしなかったからか、『脳転移しても半年以上生きる』と父が思っていたことで。希望的観測が入っていたんでしょうけど、急逝はショックだったはず。

苦しんだ顔はしていなかったので、ほんの数日でも転院してよかったんだと思います。
生きてる間は何にも出来なかったけど、納棺師の方と湯灌の時に一緒にシャンプーブロー、顔のきわ剃り、メイクもさせて貰って。時間の経過を考えたプロの技はとても興味深かった。色々教えて貰いました。

葬祭ホールでアロマもずっとディフューズしたし、花が好きな母に花いっぱいの葬儀の段取りをしてあげられたのは自己満足ではあるけれど思い残すことはないです。母が仕立ててくれた着物も着たし。私の出来る限りの事はやった。

久々の家族水入らずが葬儀当日の朝、というのが悲しいけどとても落ち着く時間でした。

葬儀中、父が泣く姿を見てほっとしました。
父の愛の形が母に伝わってなかっただけ。

銀細工、母はあまり喜ばないだろうと思っていたので、プレゼントしてあげたことがなくて。今回桜の花びらのキーホルダーを作りました。結局生きているうちに渡すことは出来なかった。貴金属はダメなんですけど、小さいものだからと棺に納める事が出来ました。
母の法名(戒名)に偶然『桜』の文字が入っててびっくりしました。

火葬場で火葬中の待ち時間にスマホの電源をONにしたら、丁度娘の大学の繰り上げ合格の連絡が来たのが一番のサプライズでした。

父を支えるために帰った感じでしたが、それでよかったのだと思います。

母は痛みと苦しみのない世界へ旅立ちました。
母が亡くなりまして。71歳になったばかり。

去年の5月に乳がんが見つかり、初診で既にリンパ、肺にも転移していました。

2019年ー2020年の年末年始に会ったきり
一度も会えず。
写真嫌いで、勿論ビデオ通話も嫌い。
父が入院日にビデオ通話でチラッと映してくれたのが生きている姿を見た最後。

あとで聞くと会ったときにはしこりがあったと。
咳が酷くても「コロナに間違われたら嫌だから」と入れた予約もキャンセル。
呼吸が苦しすぎて受診する気になった時には、、、。

呼吸器内科医に「実は胸にしこりが」って言うのはどうなのか。付き添った叔母もびっくりで。

普段から「早死にするならそれでもいいと思っている」と言っていたのに、抗がん剤治療したのは意外でした。

在宅酸素で退院してからは、訪問看護と訪問介護のお世話になったので

『東京から会いに来るなら2週間はケアに来ません』
の言葉に会えず。
叔父や叔母はこっそり会いに来ればいいのに、と言ってくれていたけれど、真面目な人だからか、母から「会いたい」とはほとんど言われず「どうしたらいいか分からない」という言葉にちょっと悲しくもあり、イライラしていました。ビデオ通話も嫌いなんだから、ずっとLINEと電話のみ。
でも、会いたいと言われないことをいいことに行こうとしなかったのも確かかもしれない。

「あなたが元気でいればそれでいい」
と言われた時は、母が子供にそう思うなら、子供も母にそう思っている!とぶちギレました。
伝わったのかどうか分かりませんが。

父に対しても、全く今までやった事がない事を頑張ってやっているのに、どうしてもちょっとやることがずれる父が許せなかったみたい。私に話すのは父の愚痴ばかりで、疲れました。お互い思いやってるらしいけど、ずっとずれてる夫婦。



朝から
仕事仲間で友人の
優しい言葉に
電車の中で泣く。
メイクが崩れそうだ。

最近色んな事に対して感情押さえ気味。
しっかり泣くのが足りないんだと気付く。


↑これは手乗り人形ではなく合成写真。


母の命のろうそくが
結構な勢いで短くなっている感じ。
今日から緩和ケア病院に転院。

コロナのせいで
去年の正月に会ったきり。
その時には病気はそれなりに進んでいたはず。
調子が悪いのに病院に行ってなかった母。。。


自宅療養中は、
東京もんと会うと訪問看護も訪問介護もストップしちゃうから会えず。
入院してたらもちろん誰とも面会できない。

LINEのビデオ通話もZOOMも全くやらない人。
写真が嫌いなんで。
ずっと電話のみ。


来週末子ども達を連れて帰ることにしました。

面会できる状態、ということは、
つまりはそういうことなんです。

でも、この期に及んで
母に
『会うのがいいのか分からない』
なんて言われちゃうと、
悲しみ通り越していらっとしちゃって。

辛いのは母だってもちろん分かってるんですけどね。


『あなたが元気でいてくれればそれでいいのよ』
とか言われても

親が子を思うように子どもも親の事を思ってるってなんで分かんないかな💢
と思う。

いつまでたっても母の事はよく分かりません。

とりあえず
一度実家に帰ります。

東日本大震災から10年。


あの日は

息子の保育園の卒園式。


卒園式のあと保育園の友達家族とみんなで食事。

不登校で家にいた娘も呼び出して。


食事が終わった頃、揺れた。



阪神淡路大震災の時は(私は大学生)


同じマンションの人が助けてくれたり、


友人が偶然いつもと違う部屋で寝ていて命拾いしたり、


東日本大震災の時も

家族が偶然揃っていて。


あー生かされているんだ、と感じる。


去年オペしたときもそうだった。

生かされているんだ、と感じる。


でも、そういうのは長続きしなくて。

日々の生活に紛れていってしまう。


私の人生の残りもずいぶん少なくなってきた

100歳迄生きるとは思えないので、

人生の半分はとっくに越えた。


なのに、

最近人生の無駄遣いが多いと思う。

生き急ぐ気はないけれど。



祖母や母の命のろうそくは、どうも長くなさそうだ。

私は祈ることしか出来ない。

会いに行ける状況でもなく。



私に出来ることは

今日まで生きてきてよかったな、と思えるように

自分の命の炎を燃やすだけだ。


そんな今日この頃。



きらめこうぜー♥️


はぐくむ 、から画像お借りしました。


先日、散歩をしていたら

広島県府中市のアンテナショップが❗




つちのこ饅頭を発見‼️

これ美味しいんですー。

パイ生地に、白餡と栗🌰

和洋折衷な感じ。

叔母が時々買ってきてくれてた、私の大好物。

友人からは
『つちのこの味?不味そう』って聞かれましたけど

そんなことはないですっ。

ほんのちょっとサイズ感が小さくなった気はしますが、気にしない。
おばさんにはちょうどいい大きさ。
でも2個食べちゃうから意味ない😃💦

美味しいんですよー。
地元の美味しい味でした。



広島県府中市、なんて
どんだけニッチなんだ(笑)

でもそういう商売ありだな、と思ったのでした。