先週、突然思い立ち、涸沢カールにテント泊をしに行きました。
前回から3週間しか経っていません。
錆びきって汚れた身体を浄化するとか勝手な理由をつけて行ったのですが、
予定よりも早く『涸沢カールでテント泊する』
という今年の目標を達成してしまいました。
今年の上高地や涸沢は雪が例年よりも多く、涸沢では、未だ5~6メートルの積雪です。
5月の連休の際には、300張以上のテントが張られたそうですが、5/30は、私を含めたった3張でした。
私のテント
登るときも、数人にしか会わず、私がへばって休んでいると、年配のご夫婦に、
『涸沢ヒュッテはこのルートで良いのですか?』
と聞かれ、
20数年ぶりで、しかも雪ルートは初めてなので、
情けない事に、
『私は、そのつもりですが・・・。』
としか答えられませんでした。
これではまずいと思い、
『この先をずうっ~と谷沿いに右に廻っていくと多分小屋が見えると思いますが』とあわててフォロー。
しかも、6本爪の簡易アイゼンで登ったのですが、雪がゆるく、20キロ前後のザックと私の175センチ75キロの豊満な肉体と合わせると簡易アイゼンの爪の短さだと思うのですが、スベルこと、スベルこと。
アイゼンの使い方は昔の経験があるのですが・・・・。
また、ストックも雪用の『わっか』を持ってこなかったので、滑ってストックに体重が掛かると、ズボッと刺さってしまい、抜けなくなります。
地図上のコースタイムが2時間のところを、なんと倍の4時間も掛かってしまいました。
最後は、まるでエベレストの登頂近くのように、10歩登っては立止まり、息を整えるような情けない状況でした。
結局この日は、予定タイムが4時間のところを6時間掛かってしまいました。
それでも、徳澤園キャンプ場を6時に出たので、12時には涸沢カールに着くことが出来ました。
やはり、十分に余裕を持った日程と、空いている平日に行く事で、安全に、
『自然のど真ん中』
を感じる事が出来るのですネ。(混雑していない。)
中央に涸沢ヒュッテが見えているのですが、ここから1時間かかりました。
やっとの思いで小屋に着き、まずはお決まりの生ビール。
今回は、有名なおでんセットではなく、ラーメンも。
テラスの売店は閉まっていて、1階下の受付でテント泊の受付と同時に注文して、テラス席まで自分で運ぶ事に。
受付のおねいさんに『上の貸切席に持って行ってもいいですか?』
と冗談を言うと、一瞬考えた後、蔑みの微笑と供に『どうぞ』ですって。
ラーメンは次からはいいかな?
テラス席から、チラリホラリと登ってくる人達を肴に、
『あそこから1時間掛かるんだよなぁ』
等とつぶやいていると、
『明日は上に昇るのですか?』
といかにも山男っぽい、しかも品の良い年配の方。
『とんでもない。私はここが目的地でイッパイイッパイです。』
『そうですか、私は、明日上に行こうと思っていたのですが、やっぱり年のせいか体がふらついてしまい、諦めます。下の横尾山荘迄23キロを背負って歩き、テントを張ったままにして涸沢小屋に登ってきたのです。』
私が『失礼ですがおいくつですか?』と聞くと、
何と、
『79歳です。』
ですって。
全然そんな歳に見えない!!!
(ちなみに翌日横尾で再度、お会いしたのですが、涸沢でお会いした時には冬用の登山靴にピッケルと12本爪の装備でしたが、横尾までは縦走用のオールレザーの登山靴で来られたようです。そりぁ23キロにはなるわなぁ)。
ただ、ただ脱帽・・・・。
今回の涸沢は天気は良かったのですが、午後風が強く、テントを立てる際、飛ばされそうで、さすがにあせりました。
小屋のバイトのお兄さん曰く、『この間も向こうの山までテントが飛ばされてました。』そうですよね、凧みたいな物ですものね。
いつもは人で一杯のヒュッテのテラスと中央遠くに私のテント
連れ合いが心配していると思い、小屋の衛星回線の公衆電話へ。
300円/45秒ですと?
まぁ、話す事もないのですが、一応無事という事を伝えようと、かけてみると、『186を最初につけてかけ直してください』というアナウンス。
『そう言えば、発信ナンバーを知らせないのは拒否してたんだ』
と思い出し、186をつけてかけ直してもつながらず、結局300円を損しただけ。
それでも、
『PCとTV、電話が通じない大自然に抱かれた世界、最高!!』
夜はウィスキーを飲みながらの奥穂高
と静かなテントの中で思索にふけっている?と、
突然スマホの着信音。
ビックリして出てみると『元気?大丈夫ですか?』と母の声。
翌日小屋のバイトのお兄さんに聞くと、
『auはぎりぎり大丈夫みたいですよ。』
ですって。
確かめると、私のスマホ(au)の電波は、通じたり通じなかったりでした。
静まり返ったテントの中での突然の着信音は、かなり興ざめしてしまいましたが、
今回の山行は、私の魂と身体の錆と汚れを多少ながら浄化したのではないかという気分で東京に戻ることが出来ました。
次の禁断症状が出るまで、穢れた大都会の中で、息を潜めておとなしくしていきます。











