昨日に引き続き、お友達であるけんちゃんの話。

けんちゃんは、お世話になっている方のいとこで、知り合って10年位になります。


50歳代後半、感性はとても若い人です。いつもアメ車に乗っていて、以前は趣味でサッカーをやっていました。仕事でホームページを作ったりしていて、アクティブ、真面目、アルコールが大好き、時間に正確、待ち合わせすると時間より早くに現れます。


そしてけんちゃんは、生まれつきの脳性マヒです。

一人暮らしをしていて、朝晩ヘルパーさんに身の回りの事をやってもらいます。肢体不自由で会話もゆっくりですが、頭の回転の速い優しい人です。


アメ車は電動車椅子。日本車に比べサイズは大きめ、バッテリーの持ちが良く、スピードが出るのだそうです。一緒に移動した時は、小走りでないと追いつきませんでした。サッカーは車椅子サッカー。プレイしていた頃は知りませんが、きっと大活躍していたんだと思います。

ホームページは障がい者の作業所の仕事です。お給料といっても子供のお小遣い程度、生活費は障がい年金です。アルコールはストローで飲むので、ペース早くてかなりの酒豪です。


電車に乗って1人でどこにでも行きます。一緒に都内を移動した時にわかった事があります。駅や道路など、整備は進んでいるとはいえ、それでもまだまだ。電動車椅子はエレベーターが無いとフロア移動が出来ません。また彼のアメ車は重いので、人手ではとても運べません。乗り入れが複雑なターミナル駅の乗り換えはとても時間がかかります。


トイレは自分で対応できます。でも車椅子で入れいるトイレは少ないので、外出の時は水分の摂取を控えると言っていました。


私の身内にも、24時間介護が必要な脳性マヒの娘がいるので、けんちゃんに「障がい者の親って休まずに頑張るから、いつも疲れているでしょ。子供の立場から見てどう思うの?」と尋ねた事があります。


けんちゃんは「親が元気でいてくれる事が一番。ヘルパーさんとか施設の短期利用で、自分の時間を持って欲しい。子供はみんなそう思っているよ。」と言ってくれました。


アベノミクスで、景気対策のテコ入れが進んでいるのは喜ばしい事でありますが、どのような立場の人であっても安心して暮らせる世の中になって欲しいと切に願います。


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仲の良い女友達の中で、一番長い付き合いの自慢の親友、えっちゃんの話。


えっちゃんと知り合ったのは、私が小学5年生。転校生である私の最初の友達です。中学、高校、バイト、塾も一緒。家も近所で、お互いの家に入り浸ったものです。


ここでは書けない、あんな事、こんな事も知っている間柄。今も車で15分の所に住んでいて、とっても仲良しです。


えっちゃんは生粋の日本人なのですが、彫の深い美人です。ご主人のおばあちゃんに「孫は外国人と結婚した」と言われたほど。美人で、性格が良くて、頭も良い。大学生の頃はモデルもちょこっとやっていたっけ。


どんな顔かというと、女優のミラ・ジョヴォヴィッチを日本人にした感じ。

外国人っぽくしっかりメイクしたら、まさにこの顔になると思います。

本人に言ったことはないのですが、似ています。


ミラ・ジョヴォヴィッチはハードな役柄が多いから、映画を観ると「えっちゃんがピンチ!」とドキドキハラハラしてしまい、まともに観ることが出来ません。(笑)


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えっちゃんが入れてくれるミルクティーは絶品です。紅茶の入れ方がとにかく上手。同じ茶葉でもえっちゃんが入れてくれると、濃厚なのに苦くない。そこにたっぷりの牛乳を入れて飲みます。

「えっちゃんのミルクティーが飲みたい~。今から飲みに行ってもいい~?」と言って時々家を訪ねて飲ませて貰います。


最近ご無沙汰しているから、久々に連絡して絶品ミルクティーお願いしてみようかな。


私はボディジャムが大好きです。


でも最初からすんなり好きになったのではなく、多くのジャム好きの人が通る「これは自分にはムリかも」を経験しました。


丁度3年前の夏に、BJ53がリリースされた時、レスミルズスタンプラリーのスタンプが欲しくてレッスンに参加しました。他の参加者の方々は既に何度も経験済み。華麗なステップを踏む後ろで、右往左往しながらの参加でした。


当時ホームではとても人気の女性のイントラさんがいて、多分他店からの遠征組も相当いたと思います。その出来上がった空間で、一人取り残された私は「ダメだこりゃ、無理無理。早く終わんないかな。」そんな事を考えならが1時間を耐え忍びました。


その後ジャムから足が遠のいたわけですが、何かの機会に別のイントラさんのレッスンに参加しました。そのイントラさんが笑顔で一言「ジャムは弾けちゃえばいいんですよ!」

動きには全然ついていけないけど、それでも良いんだ!と思えて、もう一度気を取り直して参加するようになりました。


一番後ろの隅。鏡は遠くて見えないし、イントラさんガン見状態。一瞬でも目をそらすと、もうなにやってるのか解らない。一応同じ方向には動いている、そんな私に、イントラさんは時々OKサインを送ってくれて、終わると「動けてましたよ!」と声をかけてくれました.。


そのあたりから私のジャム修行が始まりました。多分2年位は1人で参加。スタジオに顔見知りはいても挨拶程度。誰かとジャムについて語り合うこともなく、イントラさんのOKサインだけを頼りに出ていました。

もちろん遠征なんて行った事もなく、ホームのレッスンのみ。


元々はコンバットが大好きだったので、コンバット仲間に「ジャム楽しいよ!」と話すのですが、誰も参加しない。寂しいなあと思いながらも私は出続けました。


本当にコンスタントに出るようになったのはBJ56、2年前の震災があった3月リリースのナンバーです。

「大変な方が大勢いらっしゃるのに良いのかな」とちょっと後ろめたい、でもレッスンで元気を貰える、そんな複雑な気持ちで、時間の許す限りレッスンに参加しました。


その頃から「好きなアイテムはコンバットとジャムです!」と言うようになりました、


リズムに乗ってステップ踏むのは好きでしたが、人前で踊るの恥ずかしかったし、弾けたいけどどう弾けていいのか解らなかった。それがジャムをやった事で、楽しい事を心底楽しいって思えるようになった気がします。


ジャムは自分を変えてくれたものだと思っていますし、私に「弾けちゃえば良いんですよ!」と声をかけてくれたイントラさんには本当に感謝しています。


今ではコンバット仲間の殆どがジャムにも参加するようになりました、そして皆がジャムって楽しいと言っています。好きな事を好きな人たちと共有出来ていることも本当に楽しい。だから私はボディジャムが大好きなんです。


デビューのBJ53オリビアのコリオ、これも大好き。ホームではバックナンバーの時期に必ずやるので、今から楽しみにしています。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ