本日4月1日、朔日は日本の神様の御縁日、豊川稲荷 柁枳尼眞天様と神棚の神様の御縁日です。

  豊川稲荷様東京別院は御縁日を毎月22日と1日としています神社

 

      当方では1日、朔日を御縁日にして御供養していますお願い

 

 前回の高尾山を望む武蔵野陵参道からの桜の写真があいにくの天候だったので3月31日(水)の

 晴れた日に再度撮影しました。

  (少しはましですか) 奥の山が高尾山です。

    

 

  桜も満開になりました🌸 桜と高尾山 アップですが、ピンぼけてしまってます照れ

    

 

  参道の南浅川橋から振り返ると、こんな桜並木が続きます。

    

 

   寒川神社 鳥居  

    

   不思議なお話をしますので、寒川様の鳥居を載せさせていただきます。お願い

 

 前回にお話ししました私の母親のことです。

 

最初にいいますが基本的に怖い話はあまり好きではありません、私自身は子供の頃から不思議な

ものが見えたり聞こえたりする方でしたが更に母親はそこそこの力がありました。

 

今でも覚えています、私がまだ3歳くらいの時に一緒にお昼寝をしていた時です。なぜか先に目を覚まして隣に

寝ている母がいるのが分かっています、ですがもう一人の母が四つん這いでそれはものすごい形相でこちらに

向かってきました、とても恐ろしいので隣にいたもう一人の母の方も見れずに布団の中でじっとしていました、、

、、それからの記憶はありません。 夢っだったのか分かりませんびっくりあせる

それから物心が付くまで母親の不思議な実態が分かって行きます。 母親は生霊を飛ばす人でした。

 

とにかく感情の変わり様は尋常ではないことが良くありました、勿論外に出て働いても長続きはしません、

大体が誰かと揉めて帰ってきます、父親ともよく喧嘩はしていました(これはどこの家庭でもよくあることです)
というのは人を見抜いてしまいそれが自分で過剰に判断してしまい次には思い込みに発展してしまっていた様子でした。
一番多いのは幽霊を見てしまうことでした、(あそこにいたとか、又あそこにいたけど、こんな人がいたけど
人間じゃなかったとか)よく私に向かって話してました。 
それからよくあったのは人様の死についてでした、あそこの誰だれは死ぬよ、そうすると何日後にはその
通りになったりしました。  あるお家で不幸があると、やっぱりそうだったんだそこのお家を通ると誰だれの
場合かが分かってたんだよ。という具合で話してました。
(私自身は子供の頃から例え親でも信じられないことは信じない主義でしたがそれはそれは何度も実際に
あたってしまっているのを見ると理解して行く様になります)。。。。
 
前回のブログに書いた私の幽体離脱の経験をまだ母に話していない若い頃 家族同居時代の私の部屋に急
に入ってきて(死んでないかい、あー大丈夫だったか、この前死んだ様に呼吸が止まったまま死んだ様に寝て
たので又かと思って心配して見に来たのよ)とその当時私は(ふざけんじやねえよ!)と追い返していました、
 
前回のブログに書いた様に実際に母のいっていることがあたっていましたから、幽体離脱をしていた時
があるからです。こういうことはちょくちょくでした。
それから私が独立して一人暮らしを始めた時もこちらから何か月も連絡を入れていないと母から電話が着て
(生きてるの、あー良かった)死んでたのかと思ったですって!!  
 
以前のブログのいきさつに書いた様に修験道の神仏の世界に入ってから私自身も見える、聞こえると
幽体離脱や私の意見や思うこと見えない世界や神仏の世界や仕組みとシステムを家族を含め母親には
よく話をしました、母親を伴って神社仏閣や滝行などの修行に連れて行くこともありました。
先祖供養を第一にして神仏の供養も一層深めて行きました。
 
それでも母はよく見てしまいます、良くない事にも能力を使ってしまってましたパチンコが趣味でした、
インスピレーションや夢で見た数字で同じ番号のパチンコ台を使うと必ずヒットして大儲けしていました。
自分でコントロールできないタイプでした。
一番痛感したのは自分の家族、肉親を変えるのが難しいということです。
修行に一緒に行ったり、お経を読んだり、真言を読んだりしても、その人自身が本当に努力をして良い
方向に変わろうとしない限りはどうにもなりません。
 
今から十数年前のことです。 ある時 実家に寄った際に母から深刻な表情をしながら、
(夢だけどあなたが血だらけになって倒れて死んだ様子を見たので気を付けて、本当に本当に。)と
ここまで母が真剣に私に頼みながら話したのでびっくりしました。 
 母親から死の宣告です!   しかもよく当たります。 私自身本当に何回も死にそうになったことが
ありますが。
 
それから数週間しない位である寺院で高尾山にも通っているとても力のある霊能者に会うことに
なりました。
先輩坊主や後輩坊主達が先に会っていたので体験談も聞いていました。
 
女性の霊能者の方です。先輩の寺院にお手伝いや修行の為の勉強に来ている傍らに色々な人を見て鑑定している方でした。私も色々と見ていただいて永遠何時間とお話しをさせていただきました、本物の能力をお持ちの方だとも分かりました。(その時も色々とありましたそれは何れお話します)
その中で昼休みの時です、私を今まで以上によく見て、真剣な表情で話しだしました、
(絶対に気を付けて下さい、生死にかかわる事ですから、これこれこういう日にこういう柄と色の洋服を着て出かけてはいけないです、生死にかかわる大事故に会います、あなたが血だらけで死んでいるのが見えます。)
母親と同じ様な事と更に詳しい事を聞きました。
修験道の世界では死んだ者として修行をして実際修行中に死ぬ事も覚悟して入っている世界ですが両方から予告というか宣告はさすがショックでした。
 
それからお世話になっている先輩住職を始め神仏に御祈祷やお願いをして自らも精進していく日々が始まりました。
 
それから一年以上は教えてもらった天気の日にその柄と色の洋服は着ない様にしていましたが。
 
私は実は当時、自民党の青年局青年部に入っていました、今は青年部だけです。
同級生の一人は現在はある有名な現役の大臣で閣僚です。後輩達も現在は有名な議員や役職の方達です。毎年 自民党議員団とその関係者で終戦の日に靖国神社参拝をしていました。
 
その日はその様な天気と着てはいけない柄と色のスーツで参拝しました、うっすら分かっていましたが、
まあいいかと、同級生の現大臣は別でしたが他の私達は参拝も終わり神社内の駐車場から出ようとすると
仲間の数台の車が渋滞で敷地からなかなか出れないで出口に向かって並んでいます、私は当日は自分の車のBMW525を運転してある議員と幹部を乗せて最後尾に居ました。  それからです
 
 後ろからドーンとすごい衝撃と共に今でいうアクセルとブレーキを踏み間違えた乗用車が後ろから突っ込んできて頑丈でそこそこ重たいBMWから前にいた仲間の車2台、合計3台を重ねて押しながらそこそこの距離まで追突していきました、
 私は勿論ブレーキを夢中で踏んでいました、ぶつかってきたのはトヨタのプリウスです。
そんなに助走距離があるとは思わない距離を頑丈な車3台をぶつけていく様子はまるで人間業と自動車の物理の法則をも無視した感じでした、勿論皆、無事ではありませんでしたが軽い鞭打ち症で済みました、 BMWのトランク部分とからシャーシーはグッシャリでした笑い泣き、 前の車2台は搭乗者と車はどうにか軽傷で済みました。 事故に強いBMW出なかったらどうなっている事やらでした。 
魔が入ったというか、この時期こういう場所は気を付けるべきでした。
 私の責任でした。
 
靖国神社は初めから警護の警察が目の前にいたので迅速な処理と救急処置をしてください助かりました、犯人は茫然としているだけで事故処置は一切してくれませんでした。
その日は大騒ぎの会場でしたが、その後日から数年が事故した相手と保険会社と弁護士との鍔迫り合いで
苦労しました。
 
母親と霊能者のいってたことは確かだと思いました。 そんな母は長い闘病後に8年前に亡くなりました。
母の不思議な話はいっぱいありますが、又後日になります。
 
全面解決ではなかったですが、仲間と自分の身体があって怪我も治り無事にこうして生かされていることが何よりで、神仏に助けられたのは確かでした。
 
   大難を小難に変えて守っていただいたのが痛感した出来事でした。
    自分の運命だけでは本当だったら死んでいました。
 
               大きな神仏の力が働いたのは事実ですお願い
 
 
  何しろ事前に予言やお告げで分かることがあっても防ぎきれません人間は私の様なバカですから真顔
 うっかりとやらかしてしまいます。
      神仏は私の様な人間を見捨てずに助けて救ってくれてます。本当に感謝していますお願い