本日は3月29日(月)東京は夏日の快晴で汗ばむ陽気でした。
前日 3月28日(日)はお不動様の御縁日でした。
東京の八王子市の天気は夜から大荒れでした。
その日の早朝の武蔵野陵参道の南浅川橋から見た風景で曇り空の下の桜並木はほぼ満開です🌸
遠くに見える真ん中のお山は高尾山です、薬王院では奥の院や不動院で御縁日の御供養が執り行われます。
(写真の撮り方が下手なので高尾山が遠くに見えますが実際はかなり近くにあります)
うちの事務所の近所に武蔵野陵があり、地元では多摩御陵と呼んでます その参道の橋の上での撮影です。
晴れていれば素晴らしい眺望ですが私が撮影したので何か恐しげな嵐の前触れという感じです
不動明王と矜羯羅童子と制吐迦童子
お不動様の御前なので正直にお話をします。いずれお話をしようと思い何時が良いのかと先延ばしに
していました。 お稲荷様やダキニ天様のお話が又伸びてしまいます。ごめんなさい・。
子供の頃から幽霊話やオカルト、宇宙人やUFOの話が怖くて大嫌いでした、 でも心の底で興味もありました。実際幼い頃から時々それらを見たり、聞こえたりしてしまうタイプでした。
母親はとてもよく見えてしまうだけではなく能力を使ってしまうタイプの霊能者でした。
命を縮めてしまったのかもしれません。
上記の事は以前のブログのいきさつによって入った高尾山の山伏、修験道に入る前まではなるべく避けてきました。
実は、神仏の元での修行の道、修験道の世界に入ってから高尾山薬王院を卒業した現在までの30数年はそれらの苦手の事柄が当たり前の様な世界になり、それが仕事になり それを超えてもっと、もっと、怖い思いや大変な事柄が次々とやってきました修行や修験道は勿論、普段の生活や仕事でまでもがです。
そんな多種の怖い思いや経験をしてもさらに現在でも一番怖いのは上の
不動明王様です
修行を始めた頃の20代後半に修行に邁進しすぎて滝行ばかりをしていた頃です何か勘違いをして悪い天狗になってしまい お不動様に半殺しになった事がありました。滅茶苦茶に怒られました。
あの痛さ苦しさは他には経験上ありませんでした(詳しい内容は何れお話します)
そしてハッキリと申し上げますが 占い、霊能者、オカルト話は本物か偽物かが判別できるまで信用しません、特にマスコミによるそれらの情報は信用できません。
神社本庁の体制、ある宗教、ある宗派の教義や行っている事や情報は良い点もありますが疑問点だらけです。
一番は自分を差し置いてSNS上のスピリチャル関係の情報とブロガーさん達の掲載している内容の信憑性のなさ、何者かに騙されて踊らされている感が良く分かる方、全く嘘や創作はとても危ないです。
高尾山薬王院にいる頃からそれはそれは多くの霊能者さん(高尾山には有名な霊能者さんが大勢きます)、能力者さん、行者さん、神仏に仕える方にお会いしてきて、申し訳ないですがそれらの方が本物か又はどの位らいの能力かを調べたり時には試したり、実験や研究をさせていただきました。後輩や仲間と霊能者さんも一緒に行うこともありました。 私達はプロでもありますので言い方は悪いですが相手を判別しなければいけない時があります。
判別の仕方が分かるので特にこの業界で増えている霊能者や能力者の方達の本物か偽物かが、操られているか勘違いしているかが分かってしまいます。
ですが一部の本物の実力者がいるのは本当の一握りで一部です 高尾山に来る能力者の方の中でも本の数人です。
私の経験上、実際会った中では霊能者の仲間も含めて本物の方は5人位です。
ブロガーさん達の中で現在この人は本物だと理解できる方は3名程です。
本物の素晴らしい行者さんは大勢いらっしゃます。
まずは私自身の事です。
最初の頃のブログに書いた様に生まれてこの方色々とありました、母親から生まれ出る時にへその緒
が絡んでしまい出てこれずに母親の命か私の命のどちらかしか助けられないか両方とも無理と父親には告げられたそうです。
しかし母親はどうにか助かりました、私の方はというと心停止のままどうにか出てこれました、
という事は仮死状態で生まれたきたそうです。昭和38年当時は現在の様な医療技術や道具が無く
すぐに出来る処置はあまり無くてどのくらいの時間かは分かりませんが、なんとお医者さんが私を殴りつけてショックを与えて蘇生したらしく心臓が動き出しどうにか生き返ったそうです
次の私の兄弟になる予定の弟は流産でした、実質この世に生まれ来れた次の弟は幼少の頃の事故で耳が聞こえず聾唖者(ろうあしゃ)です。現在元気で孫までいて元気です。
次の末の弟は愚弟と呼んでいい程の人物でしたが4年前にガンで亡くなりました。
その様な私達を生んでくれた母親は8年前に病気で亡くなりました。
実は以上の事は家族には失礼ですが その当時のその瞬間は大変な思いと出来事でしたが全人生から見るとさほどの事ではありませんでした。私はそれから小児喘息と色々なアレルギーと病気で又心停止や死に目に何度も会い 子供ながらに苦しい思いが沢山ありました、
子供ながらに死にたくないよーとは思いませんでした、
それよりも(くるしいよー、母ちゃん助けて、救急車呼んで)と頼んだ思い出があります。
母親や父親は救急車を呼んでくれませんでした、色々な理由がありました。そこで又仮死状態が何度かあったみたいです。
青年期まで何度か事あるたびに仮死状態がありました それが慣れてきてしまいます、
そうすると意識が違う所に行く様になりました 幽体離脱という事です。慣れていいものではありません。戻ってこれなくなる場合があるからです。
ハッキリと覚えている時が何度かあります、空を気持ち良く飛んでいて 色々な場所や見たことのない
その一番の元凶の源の様な父親も私と同じ様に何度も死にかけても生き返ってきて今も健在です。
私たち家族はその様に精神的にも肉体的にも鍛えられて生きなければいけないという根性が教化されて他人様以上に心身共に丈夫になっていました。私はというと小学校5年生位から中学生、高校生の頃には他の人より心身共に人一倍強くなっていました (やんちゃな、ヤンキーな私が始まります)
貧乏と裕福が繰り返しやって来る中でどうにか食べさせてもらって生かされているのが
次第に分かる様になり、御先祖様をはじめ何か見えない世界の皆さんに助けられて守られているのに
全員が気づき始めます。
そして上記のいきさつの回の中の事件が起こり神仏の元での修行の世界に入りました
次回は一番身近な霊能者(霊能者とはいいたくはありません) 私の母親のことをお話したいと
思います。