初めに私のこれまでの経緯です。
まずこれをお話しをしないと本題に入れないと思ったからです
なぜ山伏になったのかとか修行の世界に入ったのかとか、
たまに友達や知人に聞かれることがありました。
不動明王と 二大童子
生い立ちの頃からお話します
*生まれつき身体の悪い子供でした、
出産時は仮死状態で母親と私のどちらの命を取るかと言う位の状態でした。
アレルギーと小児ぜんそくで肺炎の為に心停止をした時もありました。
保育園に通っていましたが小学校入学前の1年くらいは自宅で寝たきりの状態でした。
ただ家族や親戚にはとて可愛がってもらい金銭的にも何不自由の無い生活でした。そんな中でも物心がついた3歳位から自分には普通だと思って見ていた様子が他人には見えてない様子がありました中学生位にですが実は母親が霊感が強い人だと分かります。
(いずれ私の見たり感じた物や母親の体験などもお話しします)
ある時から私自身だけでは無くて家族や親せきに色々と不幸な事が続いて起こります。
私は3人兄弟の長男で次男の弟が3歳の時に自宅の廊下で倒れて意識を失いその後耳が聴こえ無くなり聾唖者になりました。
一番私を可愛がってくれて子供ながらに尊敬していた母方の伯父が32歳で亡くなりました。
祖父母の死では経験していましたが叔父の死の場合は、ショックはこれはほどかという位のショックでした。
その後相次いで親類の人が亡くなります。
間髪入れずに今度は小学校2年だった私の家と隣の父が経営していた工場が放火で全焼に成り近所の方の納屋で生活をして
保険で立ち直った家と工場で再スタートしましたが、色々な事が続いていきます。
そんな折に親戚などから何かの祟りか障りではないのかと子供ながらに聞いた事のない言葉を聞くようになりました。
実はうちの家族は元より親戚一同まったく信仰心が無く唯一、祖父母の家に仏壇と神棚があったくらいで
当然我が家には何もなく神社仏閣と神仏に参拝は皆無で、たまに菩提寺に墓参り位でした。
しかも母親は感じる人なのにです。
そんな幼少期から少年時代の私自身も色々と不思議な物を見たり聞いたり感じたりしていましたが
何かおかしいと思いましたがどうにもなりませんでした。
いっぱいの幸福もありましたが色々と困難がやってきます。
そんな中私自身は裕福から貧乏の変遷と色々な禍いの中、
身体と精神力が鍛えられたのか気が付いたら周りの同級生や従弟達よりも健康で身体も人一倍強くなっていました。
これが一番の天からの御褒美だと気がつき出します。
父親の経営する工場や仕事は毎回倒産して当時両親と2人の弟と私の5人家族で住んでいた家を追い出されて住む所が無くどうにか次の家を見つけて又引越しです。
そんな19歳の時の何度目かの引越しである場所の貸家に家族で住むことになりましたが
ここからが私のチェンジの時がやってきました。
その家でもすでに家賃が払えずに追い出される状態でしたがある日の就寝時の何時位だったか忘れてしまいましたが、
金縛りになり身動きできない状態で、中年くらいの女性の幽霊が現れてつかまれてしまい必死に何かをいって解放されました
(結構大変でした)
色々考えて一念発起して翌日両親にそのことを話しました。
その事だけでなく今までの私達家族の不幸やこれまでの事も何か他の家族や他の人達と何か違い過ぎないか
と詰め寄りました。
そんな状況で両親も困惑していた際でした、部屋の片隅に有る物に言及して、
信仰心も無いのに以前からいつも家にあるその仏壇みたいなものは何??。。
と初めて聞きました。
知人の付き合いで仕方なく置いてある仏壇らしきもの。
(某新興宗教団体の本尊)だと返答が有りました。 創価学会でした。
そこから当時の私がまだ若く未熟なので感情が切れてしまい、
(そんな物が有るからゆうべ幽霊に捕まれて大変な目に会っていつもいつも不幸ばかりで今回もこの家を追い出されるのにどうなってるんだよ。)と、
幽霊と創価学会の厨子とは関係性は無いのが分かっていても両親を怒鳴りつけてしまい、父親からは(これを返したりすると祟りがあると言われてる)と返答があり、すかさず私が(こんなものがあるから現に祟られてるじゃないか、)
再度怒鳴ってしまいました
そこから冷静に戻り、すでに決めていた事ですが、
(それなら俺がこれから家族一族を代表してうちのルーツを辿り、研究して先祖供養をして守ってくれる神仏がいるなら御願いして、修行をしなければいけないのならやってやるから自分の事を子供と思わずにこれからは俺のいう事を聞け。)
とこんな感じのこといったのを覚えています。
(明日すぐに創価学会の人を呼んで返えせ)と話すと
翌日にその団体の人たち数人がきて、
(こちらを返すと大変な事が起きますけどそれでも良いですか、)といってきましたので
すかさず又、
(そんな物が有るからこの家も追い出し寸前で幽霊が出るし今までも不幸ばかりでいい加減にしろ、今から暴れるぞ。)と言うとやっとの事で例の物を持って引き上げていきました。
当時私は若気の至りで八王子の暴走族の一員でちょっとしたやんちゃ小僧でしたが結構大人に対してもぶちぎれて怒鳴ってしまう傾向がありました。
そこからです。
ここから月日はかかりますが宣言した通りに、まずは自分の家のルーツから菩提寺の宗派、
自分の感じたり見えている物の事や、神仏、神社仏閣、歴史、文化等を研究勉強していくことになります。
そこで御縁のあった、
近所にある高尾山薬王院と山伏、
菩提寺の圓福寺で、共に真言宗のお寺でしたそこから少しずつですが、現在の私まで進みだしました
そんな幼少期から青年期初期の私でした