左眼の白内障手術をして、かれこれ4年が経つ。
今度は右眼がおかしくなり、そろそろ手術が必要になってきた。
そこで、前回手術してもらった眼科に行くと、手術を担当した医者がもう来れなくなったため手術はできないという。
そして、TB病院かTG病院であればすぐにでも紹介状を書いてくれるという。
生憎どちらも馴染みがなく、ネットで評判を見ても優劣がつけられなかったので、O地区よりは地の利があるT地区にあるTG病院に決めた。
書いてもらった紹介状を手にTG病院に行くと、院長のN先生は私と紹介状を交互に見るなり、
「どこかで会いましたよね」
と、私の顔をしげしげと見る。
全く会った記憶がない私は、
「大丈夫か、この先生」
「人違いしているんじゃないか」
と、口には出さないものの不安を覚える。
それでもその医者は引き下がることなく、
「いや、会ったことがありますよね!」
「年齢も同じだし」
と、医者は粘る。
「いやいや、ないない」
との押し問答を繰り返したが、最後に医者は私にこう聞いた。
「○○中学校卒、じゃない?」
と。
この一撃で勝負は決した。
同年齢で同じ中学校を卒業しているなら、その時点で面識があることになる。
帰宅して卒業アルバムを見てみると、確かにNくんはいた。
しかも、集合写真ではNくんは私の斜め前に。
そのNくんに半世紀後手術してもらうことになろうとは、当時は思いもよらなかったことだろう。
しかし、詐欺ではないかと言いたくなるほど、いまのN先生には昔のNくんの面影がなかった。
痩せこけていたNくんは随分ふくよかになり、髭などはやしてしまった日には、昔のNくんのことなど思い出せる訳がない。
では、何故N先生は私のことがわかったのか?
それは、体型も変わらず、分かり易い顔立ちで、覚え易い名前だったからであろう。
こうしてNくんには半世紀ぶりに再会したのだが…
もし、右眼の白内障が進んでいなければ、
もし、前回手術してくれた先生がまだいれば、
もし、TG病院ではなくTB病院を選んでいれば、
もし、N先生が私に気づかなければ、
お互い再会を喜ぶことはなかっただろう。
「縁は異なもの味なもの」
と、男女の縁はそうよく言われるが、この再会も不思議な縁である。
そう考えていくと、縁というものはもっとたくさん周りに転がっているように思う。
それなのに、それを手繰り寄せられず、縁がないままでいることが殆どなのではないか。
それでも、行動しなければ縁は無縁、行動すれば近寄ってくる縁もあるだろう。
ならば、これからも意欲的に行動していれば、新たな縁が掴めるかもしれない。
そんな他愛もないことを考えてはみるが、人生の断捨離を始めた今、もう縁など必要ないかとも思う…。
それでも、これから巡り会う人はほんの限られた人だろうから、それこそ無下にしてはいけないとも思う…。
