アメリカ先住民族インディアンの公用語は、今は英語である。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見した。
しかし、そこにはすでに先住民族が住んでいた。
だから、ヨーロッパから見ると新大陸発見かもしれないが、先住民にとってみれば「何が発見だ!」ということになる。
この大陸にやってきた白人は、先住民に対してココでは書けないような虐待を平然と行った。
そして、先住民の命に匹敵する「言語」を奪った。
『Make America Great Again(アメリカをもう一度偉大な国に)』。
トランプが叫ぶ。
本当にこの国が偉大なときなどあったのだろうか。
それすらフェイクのような気がする。
でも、もしこの国が偉大であったならば、それは先住民からいろいろなものを奪い取ったからだ。
先住民からどれだけのものを奪ったのか、その『事実』すら、白人の都合で、フェイクなかたちでしか、伝えられてこなかった。
(アメリカ先住民族ポモ族 エリカ・カーソン)
白人からの要求は底なしだった。
伝統文化の継承を禁じ、弾圧によって尊厳までも奪うとは予想できなかった。
(同モハべ族元部族長 ルエリン・バラックマン)
現在先住民は、定められたいくつかの居留地に住むことになっているが、先住民女性の3人に1人が、生涯のうちでレイプ被害に遭っている。
(2007年 アムネスティ・インターナショナル)
居留地で起こる犯罪の特徴として、被害者が先住民だった場合、警察が動かないので犯罪者は野放しになる。
あるときは、居留地から離れた寄宿学校に子どもが連れて行かれ、白人のようになるべく、軍隊式の教育を受け、部族の言語や伝統を奪われた。
19世紀から始まった連邦政府主導の同化政策を遂行するためだ。
先住民は、部族の伝統が息づく部族社会と、自分たちの歴史と存在を否定されるアメリカ社会、この二つの世界に生きる宿命を背負うことになった。
では、いまの日本はどうだろう?
アメリカの先住民と似たようなことは起こっていないだろうか?
伝統や文化は奪われていないだろうか?
そういえば、最近街中での日本語のシェアが減ってきたような気がする。
プラウドだパークホームズだグランドメゾンだとマンション名は当たり前のように外来語で占められ、電車の案内表示にしても、街中で聞こえてくる言語にしても、日本語が占める割合はどんどん減っているように思う。
しばらく前に社内公用語を英語にしたユニクロや楽天は、いまでも日本語はマイナーな存在になっているのだろうか。
ところで、原口一博前衆議院議員がこんなことを言っていた。
「プライマリーバランス黒字化とかカタカナ語で言うときは、大抵が嘘をついている」
と。
確かに、カタカナ語を使えば尤もらしく聞こえるが、実際にはペテンのためのツールに利用されていることもありそうだ。
戦時中など、敵対国の言語を禁止した時代もある。
それは極端としても、外圧にすこぶる弱い今、できるだけカタカナ語を使わずに日本語を使う習慣をつけてもいいのではなかろうか。
それは、日本語であれば容易に理解できるだろうし、理解しにくい他国の言語をわざわざ使う必要はないからだ。
このままでは、日本の言語や伝統はどんどん薄れていくように思う。
そしてそれほど遠くない未来、日本の公用語が英語や中国語になる日が来るかもしれない。
そうなれば日本語を喋っている日本人はもはや少数派、それこそ先住民と呼ばれてもおかしくない。
鎌田遵「癒されぬアメリカ 先住民社会を生きる」(集英社新書)を読んだ。
多くのものが奪われた先住民のインディアンが、明日は我が身のように思えてきた。
そんなことにならないように、言語や伝統は何とか死守しないと!
