父が亡くなって7ヶ月が経ちました。
何だかあっという間のような、、
亡くなった9月と10月は本当に慌ただしかった。
父が大動脈瘤の手術をして一般病棟に戻った時、一回だけ5分程度面会し話す事ができました。
それが父との最期でした。
歯がないので何を言ってるのか分かりづらいのですが、相変わらずの憎まれ口でしたが、痛々しい点滴のあとや足が痛い痛いと訴えていて、流石に弱っているなと思いました。
先生から話があると呼ばれて、
「また来るね、頑張ってね。」
と言って別れました。
その2日後、足の指に飛んだ血栓の手術をしました。
それから人工呼吸器は取れることはなく、ずっとICUに入ったままでした。
病院に娘を連れて行った時、私は前回面会したから娘に行かせました。
1日1人だけと決まっていました。
私もなんとか会えないかと、受付をクリアしてICUまで行きましたが、看護師さんにダメだと断られてしまいました。
その後手術をして1週間、2週間目に入った頃人工呼吸器がまだ取れないと聞き、これはヤバいかも…っと思ったんですよね。
私もなかなか行く事ができませんでしたが、水曜日に行くからっと母に伝えていて、12日火曜日の夜電話が来て娘と急いで駆けつけたのですが13日の水曜日に亡くなってしまいました。
父は感謝の気持ちや素直な気持ちを言葉にする人ではありませんでした。
散々苦労を掛けた母に対しても、最後の方はずっとケンカばかりしていました。自分の体を大事にしない父に対して母はいつも怒っていました。
こんな大病を何度しても、改める事をしませんでした。
大動脈瘤の緊急手術をして助かった時、今まで通りの生活はもうできませんと先生に言われ、本格的な介護が始まるんだと思いました。
父がそんな体になりながらもこの世に生き続けるのには意味があると思いました。
誰もが課題を持ってこの世に修行に来ているのだから、父はまだそれを達成できていないからだとわかりました。
いつまでも憎まれ口を叩き、わがまま放題やって来た父。
母に感謝の気持ちを伝えた時、神様からの赦しが来て楽になるのだろうと思ったのです。
そして、父も自分の限界が来ている事が分かったのかもしれません。
娘が面会した時、「おじぃちゃん〇〇だよ」と話しかけると目を開いてモゴモゴ話したそうにしていたと聞いていました。
姉が本当に最後に面会した時には、必死で訴えて来たそうです。あいうえお順が書かれている表みたいな物で何を言いたいか、父と姉でやったそうですが何を言いたいか分からない。。。
人工呼吸器を付けて寝たきりの体で腕を上げる力もペンを持つ力もなかったそうですが、腕を持ってあげながら紙に書いた言葉がわかった時、父と姉は号泣したそうです。
人工呼吸器を付けている為、咽せて苦しくなってしまったようですが、そこに書かれていた言葉は、
おかあさん、あいしてる
でした。
ありがとう、でも
ごめんね、でもなく
あいしてる、なんですね。
その話を聞いて、あぁお父さんにその時が来てしまったかもしれないと思いました。
自分の口で言う事はできませんでしたが、父はそれを伝えられてホッとしたんじゃないかと思います。
やはり普段から言葉に出して伝えるって大事なんだなと思いました。
父は話したくても話せなくなってしまって、どんなに辛かっただろうかと思いました。
それから、いろいろ考えずに会いたかったら会いに行けば良かったと後悔しています。
姉からその話を聞いて、次の日でも行っていれば会えたのに。
どんな最期になるか誰にも分からない訳ですけどね。
一緒に行っていたお花見🌸
もう一緒に行けないんだなっと寂しくなりました。