今朝は、先日の日経夕刊(文化面)に載った
俳人・夏井いつきさんによる
表題の記事について。
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筆者は、現在、ご案内のとおり、
全くの我流ながら短歌と俳句の
両刀使いをしている。
最初に始めたのは俳句の方。
小学高学年のころと大学生のころに
ちょっとだけ齧ってみた。
他方、短歌の方は、先年の記事で
書いたとおり、ブログ書きを始めた
8年ほど前から。
今では、短歌が主で、俳句が従となっていて、
両者への力の配分比率は、
短歌7~8割、俳句2~3割ほどだろうか。
したがって、筆者の関連知識も、
短歌の方が遥かに多い。
今回取り上げる夏井さんのお名前も
つい数年前までは全く存じていなかった。
(注:下記<関連記事>参照。)
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さて、本論。
夏井さんの記事のテーマは、
「季語」。
要旨は、タイトルのとおり、
「季語は時代の証人」であることについて
いくつかの例を示しながら解説している。
いわく、
(筆者注:ポイントのみ摘記。)
★ 「マスク」は冬の季語だが、
近い将来(?)、花粉症の傍題として
「春のマスク」が登場するかもしれない。
★ 季語が生まれる手順は次のとおり。
① 誰かがある言葉を季語として
俳句を作る。
② それが秀句である。
③ それを季語とした句が次々に詠まれる。
④ 次代の編者が、自分の歳時記に
採録する。
★ その例として、夏の季語「万緑」と
「コレラ」を挙げている。
前者は、俳人・中村草田男が
昭和初期に、
万緑の中や吾子の歯生え初むる
中村草田男
にて用いた造語だが、現在は
どの歳時記にも載る主要な季語として
定着している。
(筆者注:後者については、割愛。)
★ 「マスク」が冬の季語でなくなるか、
については、今結論を出すのは、
時期尚早と答えるしかない。(中略)
冬でも春でもないマスクの現状を
詠んでいくうちに、季語としての
「マスク」の行く末が自ずと
定まってくる。
以下、割愛。
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筆者は、歳時記はごく小さなものしか
所有していない。
句作に当たっては、当該歳時記と
NET上の歳時記とを愛用している。
なお、大部の歳時記については、
都心の大型書店や最寄りの図書館で
何度か手に取ったことはあるものの、
内容をじっくり見たことはない。
ただ、夏井さんの記事関連で
確実に言えることは、
手持ちの小歳時記ですら、
既に死語と言えるような季語が、
ゾンビーのごとく生きながらえている
いうこと。
自身の句作にも、先人の句を読む際にも
殆んど参考になりえないような、
いわば廃物の山。
とりわけ、中国の古い慣習にちなむ季語とか
「●●忌」の類は、季語探しの
邪魔になるだけ。
そう言えば、以前、廃物的季語を極力捨象し、
今日的な季語を鋭意採用した(?)歳時記を
NET上のどこかで見かけた記憶があるが、
何という歳時記だったか。
<以上>
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夏惜しむことなし秋よ早く立て
詠み人:樺風
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