「季語は時代の証人」(日経2022.07.31夕刊)を読んで | 松原湖高原☆風だより

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松原湖高原(八ヶ岳・東麓)からお送りする
四季折々の朝風

今朝は、先日の日経夕刊(文化面)に載った

 

俳人・夏井いつきさんによる

 

表題の記事について。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

筆者は、現在、ご案内のとおり、

 

全くの我流ながら短歌と俳句の

 

両刀使いをしている。

 

最初に始めたのは俳句の方。

 

小学高学年のころと大学生のころに

 

ちょっとだけ齧ってみた。

 

他方、短歌の方は、先年の記事で

 

書いたとおり、ブログ書きを始めた

 

8年ほど前から。

 

今では、短歌が主で、俳句が従となっていて、

 

両者への力の配分比率は、

 

短歌7~8割、俳句2~3割ほどだろうか。

 

したがって、筆者の関連知識も、

 

短歌の方が遥かに多い。

 

 

今回取り上げる夏井さんのお名前も

 

つい数年前までは全く存じていなかった。

 

    (注:下記<関連記事>参照。)

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

さて、本論。

 

夏井さんの記事のテーマは、

 

「季語」。

 

要旨は、タイトルのとおり、

 

「季語は時代の証人」であることについて

 

いくつかの例を示しながら解説している。

 

いわく、

 

         (筆者注:ポイントのみ摘記。)

 

★ 「マスク」は冬の季語だが、

 近い将来(?)、花粉症の傍題として

 「春のマスク」が登場するかもしれない。

 

★ 季語が生まれる手順は次のとおり。

 ① 誰かがある言葉を季語として

  俳句を作る。

 ② それが秀句である。

 ③ それを季語とした句が次々に詠まれる。

 ④ 次代の編者が、自分の歳時記に

  採録する。

 

★ その例として、夏の季語「万緑」と

 「コレラ」を挙げている。

 

 前者は、俳人・中村草田男が

 昭和初期に、

 万緑の中や吾子の歯生え初むる

                中村草田男

 にて用いた造語だが、現在は

 どの歳時記にも載る主要な季語として

 定着している。

  

   (筆者注:後者については、割愛。)

 

★ 「マスク」が冬の季語でなくなるか、

 については、今結論を出すのは、

 時期尚早と答えるしかない。(中略)

 冬でも春でもないマスクの現状を

 詠んでいくうちに、季語としての

 「マスク」の行く末が自ずと

 定まってくる。
 

 

以下、割愛。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

筆者は、歳時記はごく小さなものしか

 

所有していない。

 

句作に当たっては、当該歳時記と

 

NET上の歳時記とを愛用している。

 

なお、大部の歳時記については、

 

都心の大型書店や最寄りの図書館で

 

何度か手に取ったことはあるものの、

 

内容をじっくり見たことはない。

 

 

ただ、夏井さんの記事関連で

 

確実に言えることは、

 

手持ちの小歳時記ですら、

 

既に死語と言えるような季語が、

 

ゾンビーのごとく生きながらえている

 

いうこと。

 

自身の句作にも、先人の句を読む際にも

 

殆んど参考になりえないような、

 

いわば廃物の山。

 

とりわけ、中国の古い慣習にちなむ季語とか

 

「●●忌」の類は、季語探しの

 

邪魔になるだけ。

 

 

そう言えば、以前、廃物的季語を極力捨象し、

 

今日的な季語を鋭意採用した(?)歳時記を

 

NET上のどこかで見かけた記憶があるが、

 

何という歳時記だったか。

 

 

 

                   <以上>

 

 


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夏惜しむことなし秋よ早く立て

 

                詠み人:樺風

 

 

 

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