さて、先日の7月16日の講座での出来事。
この日の生徒さんは、ちーさん、ミクさん、リコさんです。
講座中、こんな話をしました。
今、アメブロに書いてきた記事を電子書籍化する作業をしています。
そのために、過去の記事を読み返し、内容を推敲しているのですが、数年前のあるエピソードを読んだときのこと。
当時の「怒り」が、ふっと、胸の奥から湧いてきたのです。
え? まだ「怒り」が残ってる?
いや、そんなはずはない。だからこそ「笑い話」のネタとして紹介しているつもりだったのに…。
私:なんでまた「怒り」を感じたのかな?
すると、ミクさんが、
ミク:マサコさんて、よく「たとえ話」をしてくれるじゃないですか? そのときにその出来事を掘り起こすから、感情も一緒に蘇ってくるんじゃないですか?
私:でも、当時、その感情は解放しているんだよ?
ミク:そのときは解放していても、掘り起こしたときに「感情」も一緒に掘り起こされるんじゃないですか?
その一言に、はっとしました。
「まさに灯台下暗しだわ」と。
聞いていたちーさんも、「うんうん、私もそう思います。だから過去のことは思い出さないようにしている」と。
そういえば、私もセッションで過去世をリーディングする際、「できればメモを取らないでください」とお願いしています。
というのも、記憶は「感情とセット」になっているからなんです。
セッションはその感情を「解放」するために行います。
せっかく手放したのに、記録を取ってあとで読み返すと、また同じ感情をインストールしてしまいます。
そう説明しているのに…
私自身が、その落とし穴にはまっていたのです。
「これはすでに手放した感情」と思い込み、「面白いネタ」として人に話していた。
でも実際は、「怒りの記憶のネタ」なので、「怒りの種」を何度も土の中から掘り起こして、再体験していた……
しかも、「もうとっくに手放した感情」と思い込んでいるので、話すたびに改めて解放することもしない…
あああ……!
翌朝、氏神様へお参りした際に降ってきたメッセージは。
「ネタ帳解体」
「ネタ帳」を解体して、残すものと、手放すものを整理しなくちゃ!