今月の4~6日の京都旅行の最終日。
同行していたカヨさんが突然、
「そういえば、私、愛知のもうひとりの生徒さんとお会いしたことがないです」と。
カヨさんは愛知在住ですが、愛知には受講中の生徒サチさんもいらっしゃいます。
わりと生徒さん同士を紹介することが多いのですが・・・。
私:そうだっけ? ZOOMでも会ったこと、なかったっけ?
カヨ:ないです。
私:じゃあ、旅行から帰ったらサチさんに連絡してみるね。
で、戻った翌日にサチさんに電話をすると、年内は仕事に忙殺されそうとのこと。
じゃあ、来年1月にでも時間がとれたら3人で会いましょうという話になりました。
私が愛知に行って3人で会うのがいいかなあ、なんて考えながら、「愛知の見所」をネット検索していたら・・・。
何気なく目に留まったのが、「桃太郎神社」。
(ウィキペディアより)
旧宝物館には、見事な角の生えた鬼の頭蓋骨や、桃太郎が生まれたと伝えられる桃等も展示されていたそうだけど、放火により消失して、今は写真でしか見ることができないそう。
そういえば、今回京都で行った「晴明神社」の境内にも「桃」があったっけ。
そして、桃太郎といえば、鬼退治。
今回の旅行で、京都駅から晴明神社までタクシーに乗った際、運転手さんがこんな話を聞かせてくれました。
晴明神社の手前に「○○戻り橋」というのがあって、昔、山に鬼が出ると噂になり、その鬼を退治して、バラバラにしてこの橋に並べたのだそう。
(「○○」は「一条」か「二条」のどちらかだと思います)
ところが、鬼の正体は日本に漂着し、山に隠れて住んでいた外国人。
外国人なんて見たこともない日本人は、背が高く、鼻が高く、日に焼けて黒い顔をした姿に驚き、「鬼だ、鬼が出た」と大騒ぎしてやっつけてしまったというのです。
「え? じゃあ、その外国人は被害者ってことですか?」
「そういうことになるねえ」と運転手さん。
人々が鬼だと思ったのは、実は人間だったってこと。
この話を思い出し、そもそも「鬼」って何なんだろう? とネット検索すると、鬼の語源は諸説あるみたいだけど、気になったのは、
①「隠(おん)」の字音から転じた
②「陰(おん)」の字音から転じた
という説。
①に関しては、日本最初の百科辞典とも言える『和名類聚抄』に、
「鬼は物に隠れて形が顕れることを欲しないので俗に「隠(おん)」といい、それから「鬼(おに)」と言うようになった」と記載されているそう。
だとすると②も「陰(おん)」 →「鬼(おに)」なのかな?
ってことは、「陰(おん)」は、「陰陽」の「陰」だよね?
もしかして「鬼」って、人間の「陰」の部分?
人の「負」の部分の象徴?
つまり、鬼=人間。
そんなことを考えていたら、「鬼滅の刃」が浮かんできました。
あれだけ支持されている理由のひとつが、鬼が元々は人間だったから、だよね・・・?
「今でしょ!」「ありの~♪ ままに~♪」が流行った年に、「上」が「はやり言葉は上が降ろしている」と言っていたっけ。
その時々で必要な言葉を流行らせているって。
そうか、「鬼滅の刃」が急に注目され始めたのも、鬼は本来人間の「陰」の部分を表していて、これから陰陽が統合される時代になっていくから・・・?
なんだか、そんな気がしてきました。
カヨさんに、「愛知のもうひとりの生徒さんに会ってみたいって言われたのがきっかけで、面白いことを考えちゃった!」と報告すると、
「え・・・・? 私がそんなこと、言ったんですか?」って・・・。
え~?
おぼえてないのぉ・・・
「言わされた」のかあ・・・
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