これは3ヶ月ほど前の出来事。
昨年の11月。
ワンちゃんが亡くなって1年近くが経っても、悲しみは薄れず、写真を見るたびに涙が出ていました。
お風呂から出ても、
トイレから出ても
「いつもならこのドアの前で待っていてくれた」
キッチンに立てば、
「いつも、何かもらえるかも!って期待の目で私の一挙手一投足を見つめていたっけ」
夜、お布団に入れば、
「いつもなら私の足元で寝ていたっけ」
名前を呼ぶとすっとそばに来て、
私が手を差し出すと、
自分の前足をそっと重ねてきてくれた。
亡くなる2年ぐらい前からだったかな。
そのころはお互い3次元の言葉を交わすことはできなくても、以心伝心でなんでも考えていることが分かり合えるようになっていたのですが、
散歩をしているときに
ふとワンちゃんの足が止まるときがありました。
(ん? どうしたの?)って見ると、
じっと私の顔を見上げている。
そして、次の瞬間、
つん!と鼻先を私の足に押し付けるしぐさをして、再び嬉しそうに歩き出すのです。
(ママ! 大好き!)
その愛に、思わず涙したものです。
いつもいつも、
どんなときも
そばにいてくれた・・・。
だから、写真を見ると悲しくて。
姿かたちはなくなっても、
「いる」ということは感じられるし、
視ることもできるし、
写真のワンちゃんと対話でもきるけど、
やっぱり、実体がないのが寂しい。
黒い瞳で見つめられたり、
ふわふわした毛を撫でたり、
ときには頬を寄せたり、
抱きしめたり、
そういうことができないのが寂しい。
もう一度だけ、会いたい・・・。
そう思ってぼんやりと目の前のワンちゃんを見つめていたら、
「あれ?胸のあたりが動いている?」
かすかに上下しています。
「な~んだ、死んでなかったんだ!」
そのとき、ワンちゃんがふっと目を開け、私の姿を確認すると、ぱっと飛び起きて、私の前に座り、しっぽを振っています。
嬉しくて嬉しくて、
ぎゅっと抱きしめ、
頬をすりすりしたり、
ふわふわの毛を撫でて、
「そうそう、この感触!」って、
感覚を思い出したりしたのですが、
(あれ? 死んだんじゃなかったっけ?)
と思った瞬間、
ワンちゃんの姿は消えていました。
そこで目が覚めました。
夢だったのかあ・・・。
でも、たとえ夢の中でも
抱きしめた感覚も
柔らかい毛の感触もリアルに残っていたので、
「もう一度会いたい」が叶って、ハッピーな気持ちでした。
後日、
「これは何が起きたのかな?」って、
生徒のSENさんにリーディングしてもらったら、
にこにこ笑いながら
「ワンちゃんからマサコさんへのギフトみたいですよ」って。
そっか!
ありがとう!
夢の世界=潜在意識の世界
なのです。
ここはワンネスの世界なので、
亡くなった人や
動植物とも
周波数を合わせられるのです。
私たちは普段、顕在意識が優位に働いていますが、眠っているときは肉体をお布団に残し、意識は潜在意識の世界へ戻っています。
亡くなったおばあちゃんが夢に出てきたとか、
夢の中でお告げを受け取った、
というのも、
起きているときには互いに周波数が異なるため、
私たちがキャッチすることができないので、
夢(=潜在意識)に戻っているときに現れるからなのです。
亡くなったペットに会いたい方は、
「夢の中で会いに来て」とお願いしてみてください。
12月になって引っ越しが終わった後、
元の家にやり残したお掃除をしに行きました。
最後の時はここで、こんなふうに亡くなったな・・・
って、どうしても思い出してしまい、涙がとまりません。
そうしたら。
「ママ! もう私は新居の方にいるよ!」
という声が聞こえてきました。
お掃除を終えて新居に戻ると、
写真立ての中のワンちゃんが笑顔で迎えてくれました。
ときおり、写真を見て寂しくなるときもあるのですが、
そんなときは、
「ママ! 過去を振り向かないで!」
と言われてしまいます。笑
引っ越し直後、
「1day講座」にいらしてくださった初対面の方が、
「ブログ、読みました。
ワンちゃんが亡くなって1年になるんですね」とお供え物を持ってきてくださったのです。
思わず涙してしまいましたが、
こうやってブログの中で存在がちゃんと残り続けるんだなって嬉しく思いました。
そして、新居での初講座にこんな優しい方がいらしてくださったことにも。
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