【使わなければただのゴミ】
なんとなくだけど始めた学び自分に降りかかる試練日々の生活。生きてたらいろんなことがある。知識は蓄えたら泉になる可能性がある。だけど、循環を怠って、流れを止めたり、ほったらかしにしたらそれはゴミになってしまう。あなたに降りかかってきた試練はその時はつらいかも知れない。だけど、反転させたり、行動をしたらその結果と課程は誰かのための勇気と知恵になる。試練とその過程を誰にも見せなければそれはやがて化石になっていく。日々の生活の中の「なんとなく過ぎていること」に目を向けると面白いストーリーが隠れていたりする。自分の目の前で起きているどんな些細なことだって全ては自分が源。あなたは何も持っていないんじゃなくてただ【気づいていないだけ】ただ【使っていないだけ】なんだ。大阪出張で泊まった宿は、私には合わなくってもう2度と泊まらないだろうけど私にハナシのネタをいくつも提供してくれた。宿泊したホテルでいただいたくいだおれ太郎の帽子付きプリンだってそう。私にとっては使わないものだからただのゴミになりかけた。だけど、講座の中でハナシのネタになったし、今だってこうやって文章書いている。どこをどう切り取るかで意味なんて全部変わっちゃうんだ。だからさ、持ってるものは使わないと持っていないのとおんなじなんだよ。持ってるものがわかんないの?それはさ、ただ怖がって使ってないだけなんじゃないの?だとしたら、何が怖いのか言語化したり、自分のことがわかる方法を何か試した方がいいかもね。自分のことだって使わなかったらただのゴミ見たいな人生になっちゃうよ。私はそんなの嫌だから、書くし、話すし、自分をどう活かしていくか向き合ってる。暑苦しいかも知んないけど、それが私の使い方って今は思ってる。