京浜電気鉄道デ51形  | ボンタンの考察会

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前回のファミリーフェスタの記事の続きで、今回は保存車のことを書いて行きたいと思います。

私が今回ファミリーフェスタに行ってきた一番の理由に保存車(京浜電鉄デ51形・湘南電鉄デ1形)の塗り直しに合わせて、車内が久しぶりに公開されるということがあります。この車両達は1978年の京急創立80周年を記念して、鉄道史と京急史に残る名車として140形と230形が登場時の姿に復元され、久里浜工場に永久保存することになったのです。これには当時社長を務めていた片桐氏や副社長の日野原氏らが共に、湘南電鉄時代から駅員・車両整備員といった現業出身だったので、強い思い入れがあり保存に前向きな姿勢があったのも強く推していたかもしれません。

【デ51形】

デ51形は1924年に京急の前身で品川~横浜を運行していた京浜電気鉄道が東京市電乗り入れを視野に入れて、製造された日本で最初の本格的な半鋼製の車両です。丸妻の正面五枚窓はアメリカの流行スタイルでもあり、京浜電鉄でもスタンダードな顔でした。主要機器もアメリカ製です。台車は当時路盤の悪った日本の数多くの私鉄で採用されたブリル27-MCB-2型で、京浜の乗客からも昔の車両と比べてて、非常に乗り心地がいいと好評を集めました。


デ51型の運転台。マスコンハンドルにはアメリカのウェスチングハウス社の文字が!


運転台の上には圧力計や汽車製造東京支店の銘板。


ブリル27-MCB-2型台車


レトロな車内。シンプルです。


椅子には京浜電気鉄道の社紋が描かれています。この社紋は三本の丸い線が川崎の「川」を表し、真ん中の模様は大師の「大」を表し、4つ描かれています。


シンプルな車内を演出してるのは、このリコ式吊り手でしょう。ばねの力で、掴まない限りは固定されており、京急の他では営団地下鉄で多用されていました。


ドア。


照明も大正という時代を感じさせてくれます。



方向幕(?)には「川崎ゆき」「満員」といった文字がありましたが、満員と書いてあるのはなんででしょうかね?


51号型はその後、度重なる改番や改造などを経て、晩年にはクハ140形として大師線や空港線といった支線で活躍し1965年に全廃となりました。
デ51形は結局、東京市電に乗り入れ市内中心部まで走るということはありませんでしたが、日本の鋼製車両の発展に大いに寄与した大変歴史的価値の高い電車なのです。


湘南デ1形はこちらから