『幕末太陽傳』感想。日本映画史に残る落語の世界を描いた喜劇。 | まじさんの映画自由研究帳

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デジタルリマスター版をリバイバル上映で観賞。スクリーンで観たい映画の上位だったこの作品が観られて、本当に良かった。


幕末の品川を舞台に、古典落語の「居残り佐平次」をベースに「三枚起請」「品川心中」「お見立て」など、艶ものと呼ばれる人気の廓噺しを散りばめた、傑作喜劇である。

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コレを見ると、落語が聞きたくなるんだよなぁと思いながら観賞した。


日本映画に於いて、喜劇が名作となるのは珍しいが、この映画は日本映画史にその名を輝かせている。映画が娯楽である事を忘れさせない大切な一本だ。


幕末の品川遊郭を舞台にしていながら、タイトルでは60年代当時の現代の品川を映しだし、現代から過去を見せる奇妙な感覚を覚える。

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日活映画の大作として製作され、かなりの予算がつぎ込まれており、オールスター俳優は勿論、大規模なセットでの撮影が豪華である。

都々逸を取り入れたセリフの七五調リズムが心地よく、落語の世界に迷い込んだような楽しい作品だった。

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フランキー堺の軽妙な演技は、誰にも真似できない独特のリズムと透明感があり、図々しいのに憎めない、唯一無二のキャラクターを産み出している。皮肉も効いている。世界一泥臭いヒーローだ。

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気絶頂のスター俳優石原裕次郎をを脇役に据えているのも、当時としては斬新なキャスティングだ。実在した幕末の志士、高杉晋作を演じている。彼にとって初めてのチョンマゲ姿であったが、熱い芯を持った粋な二枚目を好演している。やっぱり裕次郎はカッコイイ。

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また、スター女優の左幸子と南田洋子が、板頭を争う女郎を演じ、美の競演が見られるのも魅力だ。二人の取っ組み合いのケンカを、屋根の上から長回しで撮っているのも見所となっている。

とにかく楽しい映画で、落語の世界に入り込める喜劇だ。


ここからは解説になるが、なぜ太陽と云うのかを調べてみた。監督の川島雄三は遊郭を舞台にした古典落語の世界を忠実に再現し、そこに幕末の志士を登場させている。

コレは、当時ヒットした石原裕次郎が出演した『太陽の季節』の影響である。

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高度成長期で安定し始めた時代の高校生が、親のレールに反発し、酒、タバコ、女、博打、など、堕落した無軌道な行動で、社会現象となった。アロハシャツにサングラスをしたスタイルが流行し、“太陽族”と呼ばれる若者が台頭し、若者たちはそれに憧れた。だが、若者の非行を恐れた大人たちは、若者文化を描いた作品は太陽族映画と呼び、未成年が見る事を禁じ、地域によっては、上映禁止となった。

映画会社は、若者映画を製作しても、若者が見る事を禁じられてしまうので、太陽族映画の製作を自粛せざるを得なくなった。


そんな中、監督の川島雄三は、幕末の志士に太陽族を投影して見せたのだ。さすがに日活は慌てたが、結果は大ヒットとなった。


喜劇なのに、主人公はいつも、結核を思わせる悪い咳をしている。コレは、筋萎縮症を患っていた川島雄三自信の投影である。


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また、幻となったラストシーンは、有名で、本作では主人公が海沿いの道を走り去る姿を見せて終わるが、川島雄三の構想は違っていた。なんと、撮影しているスタジオから飛び出して、当時の現代の品川を走り抜けて行く主人公を撮ろうとしたのだ。そこには劇中登場した俳優たちが、現代の服装を着て彼の逃避を驚きの表情で眺めるといった演出だったという。なるほど、冒頭の現代シーンはそこに繋がるのか。

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だが、この余りに突飛なラストシーンは、スタッフ全員はもとより、主演のフランキー堺にまで反対され、結局、撮影されず、現在見る事の出来るラストとなった。だが、川島雄三の没後、当時助監督だった今村昌平やフランキー堺たちは、あの時監督に賛成するべきだったと、口々に語っている。


この不可解なラストシーンについては様々な説が囁かれているが、漫画『栄光なき天才たち』の中で、この映画の制作当時を描いており、ラストシーンの墓場は、彼の出身地である恐山のイメージで、幼少期のトラウマや、闘病からの積極的逃避であるとの解釈をしているのが興味深い。合わせて読んで頂きたいオススメの漫画だ。


この映画と現実を打ち破る幻となったラストシーンは、現代に於いても多くの作品でオマージュが捧げられ、今でもその片鱗が見られる。当時助監督だった今村昌平は『人間蒸発』で、師匠の川島雄三にオマージュを捧げ、寺山修司も『田園に死す』でも同様のラストシーンを作り上げた。庵野秀明はTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回の表現は、このアイデアから着想を受けた、とコメントしている。また、海外ではウッディ・アレンの『カイロの紫のバラ』や、スパイ映画などで敵を騙す為に作ったセットの演出などにも、その影響を見る事ができる。


早すぎた希代の監督が夢見た形は、多くの映画にその形が残った。

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撮られなかった映像が多くの映画に影響を与えたという話は、最近観た『ホドロフスキーのDUNE』に似ている。同時期にスクリーンで観たのは偶然だったが、偉大な映画は多くの映画に影響を与えている事を考えさせられる幸せな出来事だった。





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