オイラは今作のデザインには大満足である!目も大きく見開かれ、スーツもダーク系から鮮やかな色になった。
ストーリーもリアル路線を出そうとしていた前作よりもややコミック調になり、人間描写もシンプルに纏めていた。人間がヴィランになる動機もシンプルで、前作のリザードマンの様に長々と変身過程を見せられる事もない。
今作で、前三部作との違いは大きくなった。前作では悩めるヒーローの成長を描いていたが、今作でのピーター・パーカーは、余り悩まない。割と脳天気だ。
亡き父の足跡を辿る事に積極性はなく、それよりも彼女の父親の事の方が、彼には重要らしい。悩むのは恋の事ばかりで、ヒーローとしての迷いはない。いつの間にか、N.Y.の良き隣人としてのポジションを確立し、誰からも愛される存在となっていた。原作にも出てくる消防士のヘルメット姿の再現には感涙した!ただ被っただけでなく、N.Y.での彼の立ち位置をよく現した名場面となってる。
アンドリュー・ガーフィールドの演技がちょっと大袈裟で、川谷拓三の演技を思い出してしまった。ニコニコして頷く辺りはそっくりだwコミックらしい演技が際立つ。
公私共にパートナーであるエマ・ストーンとのイチャイチャ・シーンが多く、いささか辟易したが、あの結末があってこその意味あるイチャイチャだったのかと、納得した。
アクションのテンポも良く、エレクトロとの空中戦においては、効果的にスローモーションを取り入れており、拡大されたスパイディーの目との相乗効果で、まるでコミックの一コマの様な美しいシーンとなっていた。スパイダーセンス発動シーンも、止まった時間を自由自在なカメラワークで、緊張感を持続させながら複雑な危機を見事に表現している。空中の移動シーンに関しては、背後から追尾している様なゲーム的カメラワークに、SCEのマーケティングの香りを感じてしまったが、過去作品の中でも、最もアメコミらしい作品に仕上がっていた。
だが、ヴィランのデザインは残念だ。
これだけコミックの世界観を表現しているにも関わらず、ヴィランのデザインだけはリアル路線なのはいかにもアンバランスだった。キャスティングのイメージは完璧なのに、ヴィランのコスチュームが半端で彼らの個性がデザイン的に活きていない。
前半のフードを被ったエレクトロはまだ許せるが、後半はブラックのバトルスーツではなく、緑と黄色のスーツにして、黄色い星型仮面を被ってニヤニヤして欲しかった。ジェイミー・フォックスは、絶対にアレが似合う筈だ!
グリーンゴブリンも原作通りマスクではなく、素顔という部分には好感が持てたが、もっと肌をグリーンにして欲しかった。
ライノもあんな装甲ロボットではなく、元々サイ顔のポール・ジアマッティの鼻にツノを着けたような特殊メイクで見たかった!ライノは乗り物じゃねぇんだよぅ!それでもオイラは密かにライノの活躍を期待していたのに、あの使い方なら、予告やチラシでデザインを見せるべきではなかった。オイラは予告編で見た、カットで軍用強化装甲に、マンホールの蓋が有効なのかをワクワクしながら答えを待っていたのに、まさか、ラストのカットが予告編で使われていたとは驚きだ。おかげで、変な期待をしてしまったじゃないか!
でも、本編に絡まず、何も考えてないパワーキャラが、ヒーローの再起を促すのは、愛すべきヴィランとして最高の登場だと思った!
と、オイラの好みはさて起き、それでもやはり、ストーリーは素晴らしい。今回は、デイリー・ビューグル紙のJ.ジョナ・ジェイムソン編集長は出てこない。大好きなキャラクターなので残念ではあるが、シンプルにまとめられた脚本と、テーマから考えても、彼の出番はなかった。父親の事、彼女の事、オズボーン家など、幾つかのエピソードをクロスオーバーさせながら、複雑にならないように丁寧に絡めて行く良い脚本だった。中でもエレクトロがヴィランに堕ちるエピソードは実にせつない。誰よりもスパイダーマンの事が大好きだった筈なのに、彼は悪になってしまうのだ。人は誰しも好きなものに期待する。期待が外れた時は落胆し、失望感を味わう。その失望は、時として憎悪に変わる。グリーンゴブリンも自分の病を治してくれると信じ、強い期待を持った。だが、期待を拒絶された事で憎悪を抱く。ヒーローがヴィランを作るという構図が、とても切なく映る。
我々が書くレビューもそうだ。ネガティブなレビューを読むと、そこには憎悪が満ちている。それは映画が好きだからこそ予告編や口コミ、監督や俳優、それぞれの淡い期待を抱き、その勝手な期待が外れると、その失望感からついついネガティブなレビューを書いてしまうものだ。
この作品では、誰でも簡単にダークサイドに落ちてしまう事を語っている。
我々の中にも、ヴィランの種は潜んでいるのである。