や(矢)のはしる事は弓のちから
くも(雲)のゆくことはりう(龍)のちから
をとこ(夫)のしわざはめ(女)のちからなり
(日蓮聖人がある夫人にあてた手紙より)
「美香と話すと坊さんと話してるようでおもろない」
叔母にそんなこと言われた高校時代
多分、それって私らしいことなんだろうなと
2013年以降、そう思うようになりました(笑)
「日蓮聖人いわく」とか言うと娘は、
「お母さん~なんか、、、
エンジェルちゃんがね♡
とかどうしてそんなんじゃないの?(笑)」
確かに!
日蓮聖人は有名ですが、
例えば、
どんなにおなじみではない神様でも
猫をなでているだけのおじいちゃんでも
あめちゃんを配るのが命のおかあちゃんでも
どんな人でも、何かをやり続けたり
ある一つの悟りに達したとき
その物事の本質を伝えることがあるように思います。
話はタイトルに戻りまして♪
最近、素敵な殿方にお会いすることが多いです。
よくよく観察していると・・・
パートナーさんがめちゃ素敵なのですよね
なんというか、
ただ信じている。
遠くに送り出しても、
ずっと繋がる絆を信じ続ける。
そんな中、日蓮聖人の
言葉を頻繁に思い出すことがあったので
したためておこうと思いました
よくよく(自分のことも)思い返してみると、
パートナーさんが許可した分だけ
実は、遠くへ、そして深くへ、
その人は出かけることができる。
それは、実は、とりもなおさず
自分が許可した人、
自分が認めている人が
許可した分だけ
すなわち、自分が許可した分だけ
ということと同義なのですよね^^
奥様や恋人、だけではなく、
娘、副社長、専務、など
自分がパートナーとしている人
自分が信じ、託している人が
日蓮聖人の言う「弓」
そして「龍」ということになるのでしょうか
や(矢)のはしる事は弓のちから
くも(雲)のゆくことはりう(龍)のちから
をとこ(夫)のしわざはめ(女)のちからなり
「弓」や、「龍」は、
潜在意識と呼び変えることも
できるかもしれませんね。
本当に本当に想っていること
本当に奥深くにある「それ」が
私たちの龍となり弓となって
私たちを動かしている。
「矢」や「雲」は、
もしかすると「夫」は?!
それをただ表しているだけなのかもしれません^^