尊敬するシンガーソングライターの友達に
「なんで、そんなに素晴らしい曲ができるの!?」
と、聞いたことがあります。
「実はね・・・。」
と、彼はウインクしつつ教えてくれました。
「何気なく生活をしていてふと曲が浮かぶことあるよね?
と、聞いたことがあります。
「実はね・・・。」
と、彼はウインクしつつ教えてくれました。
「何気なく生活をしていてふと曲が浮かぶことあるよね?
あなたでもあるでしょう?
実は、みんなアーティストなんだよ。
でも、次のアプローチが違うだけなんだ。
一番根気がいって、面倒なのはそれを形にする段階。
要するにまとめる作業が最も時間を要するし、体力も要するんだよ。
その根気が持てるか持てないか。
一番根気がいって、面倒なのはそれを形にする段階。
要するにまとめる作業が最も時間を要するし、体力も要するんだよ。
その根気が持てるか持てないか。
それを才能と呼ぶような気がするよ。」
最近も、執筆活動している友人が言ってました。
「執筆という作業が、面倒なだけ。」
彼らの頭の中には、もうきっと曲が鳴り、文章があるんですね。
最近も、執筆活動している友人が言ってました。
「執筆という作業が、面倒なだけ。」
彼らの頭の中には、もうきっと曲が鳴り、文章があるんですね。
出たい出たい。
形になりたい。なりたい。
溢れ出してきて、居ても立っても居られない。
でも、そういうはやる気持ちがある時は、いいサインだそうです。
「善は急げ」っていいますが、善はもう本質的に急いでいるのですね!(笑)
確かに表現したいことは山ほどあったとしても、それを「いかに伝えるか」。
「どう表現するか」「どう形にするか」が、一番根気を要するところです。
確かに表現したいことは山ほどあったとしても、それを「いかに伝えるか」。
「どう表現するか」「どう形にするか」が、一番根気を要するところです。
その根気こそが才能であると、友達は言うのです。
そしてその根気がなぜ必要なのかというと
そしてその根気がなぜ必要なのかというと
自己満足ならば、それでいいのですが・・・
「伝える」ということは、自分の「クセ」を「個性化」して、わかりやすくするということだからです。
これは、師匠の澤谷先生に教えていただいたことです。
そして、澤谷先生はこうもおっしゃっています。
「心澄ませて自分と対面する。
自己主張の「自己」でなく、自己表現の「自己」とですね。」
自己主張の自己は多分「わかって!わかって!」という表現です。
自己表現の自己は「あなたに大切なことを伝えたい」というスタンスなのでしょうか。
それには心を澄ませて自分と対面する必要がある、と先生はおっしゃるのです。
その「心を澄ませて自分と対面する」という根気こそが、真の表現力へとつながるのでしょう。
「伝える」という根気の根底にあるのは、読む人への思いやりであり、愛情であるのか~と
その言葉に触れた時に、衝撃を受けました。
ということは、才能とは、思いやりや愛情とも深く深く関係があるように思えてきます!
それにしても、執筆とは「もう一人の自分」が突っ込みを入れながらなので、なかなか進まないこともあります。
「一人ブレーンストーミング」に疲れ果てて、うきゃーとなってパソコンを閉じてしまう時も(笑)
でも、どれだけかかっても書くべきでしょう。
もし、頭の中で、曲が鳴り響いているなら!
何らかの形で生み出されるために、きっとあなたを選んで降りてきているのだから!
「一人ブレーンストーミング」に疲れ果てて、うきゃーとなってパソコンを閉じてしまう時も(笑)
でも、どれだけかかっても書くべきでしょう。
もし、頭の中で、曲が鳴り響いているなら!
何らかの形で生み出されるために、きっとあなたを選んで降りてきているのだから!