山賊家族 | 繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

映画の万引き家族ならぬ、、富岡の山賊家族です、ちょっと自虐的でしたかね。もう45年以上前の話ですが、県の蚕糸関係者から親父と私はほんとに富岡の小島親子は山賊親子だと云われていた時期がありましてね(今となると大笑いですが)…東京の会社に勤めていた私に家業を手伝ってくれないかと…迷いに迷った末に富岡に戻ってまいりました。親父からしてみれば、家業を手伝わせる以上、もっと事業を拡大させないと思うのが親心、当時の群馬県繭取引需要者の力関係は、製糸会社が55%糸繭商45%で拮抗しておりました。大手製糸会社も繭の安定した量が欲しいので、当然ながら個人経営の糸繭商の地盤を吸収しようと考えておりました。そこへ私達親子が毎年地盤拡張していった為(特に私達親子が大手製糸会社の地盤をターゲットにしていたこともあって)行政も大手製糸会社も目障りこの上なかったのでしょう…私達親子を『親しみを込めて???山賊親子』って…ですが、地盤は拡張していきましたが、決して地盤放棄(どんなに相場が大暴落して、製糸会社倒産しても)はしたことは一度もありませんでした。養蚕農家が最後の最後までお蚕さんを飼っている、大袈裟に言えば繭1粒になるまでは取引をさせてもらいました。昭和の山賊親子も手強かったけど、、令和の山賊親子が最強かもしれません(小笑い)でも写真を見ると山賊って言われもしょうがないかな、、、親父が亡くなる数日前に私に「篤、繭が一粒(りゅう)になるまで糸繭商を続けろ」でした…(合掌)