龍馬伝から富岡製糸場への道パート4 | 繭家の人生こぼれ繭

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人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

小栗上野介の菩提寺の東善寺ご住職から聞いた話ですが、ポーハタン号でアメリカに渡った小栗はアメリカからのお土産は木ネジだったそうです。木ネジを選ぶあたりは、小栗らしいとご住職は言っておられましたが、私もそう思いました。人にあげるのには持ってこいのお土産でしょう…なんたってかさ張らないし、当時としては珍しいでしょうし..ネジがね。やはり無駄のない頭のいい人でした。そのネジが東善寺に現在も1個だけ残っております、ただ今はアメリカにお里帰りしているそうです。(小栗がアメリカに渡ってちょうど150周年記念行事の展示品として)

さて、富岡製糸場への道ですが…小栗上野介の仲間(ちゅうげん)に利八という男がいました、後に三野村利左衛門(みのむらりざえもん)と名乗り、あの三井の大番頭として幕末の大混乱期の中で腕を奮い、三井の盤石の基礎を築きあげます。1872年富岡製糸場は官営工場として操業が始まりますが..十数年後に官営払い下げとなります..買ったのは三井でした。(このことは、また後に詳しく書きたいと思います。)

小栗には大親友の栗本鋤雲(じょうん)という男がいます。栗本は後に報知新聞の記者となり、時の明治新政府にたいして物申していきます。(テレビに出ている御用ジャーナリストに栗本鋤雲の爪の垢でも煎じて飲ましたいものですよ..)

小栗の逸話として有名なのは、十数度も役職を罷免させられた…たぶんこのことを以てしても小栗は自分の考えを曲げないんでしょうね…栗本鋤雲もそういう男らしいのか..やはり役職を首になります、北海道へ飛ばされます…当時としては北海道転勤は島流し状態でしょう。
そこで悶々としていた栗本があるフランス人と会うのです、その人はメルメカション神父。カション神父は栗本にフランス語を、栗本は日本語を教え合う間柄になっていきます。栗本の北海道のお勤めも終わり江戸に戻ってきます、小栗と再会します。小栗は勘定奉行になり上野介と名を改めていました。このあと小栗は南町奉行や初代歩兵奉行に任ぜられ、1863年に陸軍奉行になります。陸軍奉行ということは、映画ラストサムライでもありましたがフランスが軍事訓練を幕府と契約しますから、当然小栗陸軍奉行とフランスとの関係は増々近くなっていきます。そこで親友の栗本のフランス語が役に立っていく訳ですよね..面白くなってきましたね..

龍馬伝にもフランスロッシュやイギリスオルコット達の宴席での生臭い会話の場面が出てきます…いったい彼らは何を考えていたのか..大君としての徳川幕府か薩摩長州の大名連合のどっちの味方になったら自分達は有利かを..。フランスロッシュは徳川幕府を応援していましたから、小栗上野介とは肝胆相照らす仲だったでしょうしね。そして1864年11月10日に横須賀製鉄所(造船所)建設正式決定となります。正式決定を踏む前にいろんな契約条件がありますから、事前の話しが持たれました。日本側のフランス語通訳が栗本鋤雲、フランス側の日本語通訳は…皆さんもうお解りでしょう…ロッシュの隣にはあのカション神父がいました。栗本とカション神父は驚いたでしょうね..お互いきっと涙を流して抱き合ったでしょう..小栗もロッシュもびっくり、何で二人が知り合いなんだってね!!..当然この交渉事はうまくいかない訳がないでしょう!!この続きはまたの機会に。