平成最後のこの年も今日で終わり〜!!

約27年間の結婚生活を終わらせた平成30年、
激動を極めたなぁ・・
夏から秋にかけての記憶がほんまに薄くなってる。
少しずつ少しずつ…やっと
いろんな事から立ち直れそうな気持ちになれ
初めて心からのんびりとできる年末を迎えられて嬉しい。

夫婦には夫婦にしかわからないいろんな事情がある…
縁があって夫婦になり
子供ができて家族になり
歯車がいつから狂いだしたのか…
最初の最初から歯車なんてなかった
結婚が決まる少し前から
元夫のことはもう 好きではなかったので
そもそも歯車すらなく
そこから作らないといけなかったことに気付くこともなく
結婚生活を始めてしまった
実家暮しから脱出したかった
そこにたまたま
結婚できる条件が整って
浅はかすぎる 若気の至り??バカなのは私やった
暮らしが始まって いくら時間が経っても
気持ちが好転することはなかった。

親になっても 何年経っても
どこにも好きになれる要素がなく
いろんな事があり 信頼すらしていない事が
苦しかった。
ある時期から
好かれていない事を 
わかっていたはずな元夫
家業を廃業し、
40歳手前で社会人デビューした元夫
そのあたりから 私の色々に執着がはじまり
それが暴言暴力束縛にかわっていった
同居はなくても義理親と至近距離に住まい
家業を共にし、
型に押し込め はめ込まれながら
親から自立できない元夫、
いつまでも子離れできない義理の親のそばで
流されるように生活をしてきた。
付き合い始めた平成元年にはじまり
平成の終わりに 関係を切った

もぅ離婚しかない…
でもこわくてできない…
狭い狭い世界の中
自分がどんな扱いを受けてきたのか わからなかった。
こんなもんや…
私が辛抱すれば…
子供がいるから…
母に、妹に 迷惑かけたらあかん…
反省顔ができない私の笑いぐせは、
嫌でもとりあえず笑ってないと生きていけなかったところから来てるように おもう。
確かに…笑いは たくさん得になった。
だけど、笑ってごまかしすぎて まわりに
ほんとを伝える事は してこなかった。

娘は私が連れ
成人してる長男は  父親の元に残り
父親と会話することもほとんどなく生活しているらしい
考えた末の 息子本人の意思やけど
私が思い切ったことをしたことで
突然 兄妹を別れさせてしまった
親の離婚で 子供なりに気を使い
さびしいような思いをし、激しく反発もし、
なにより子供の立場がわかるはずな私なのに
家を出て日が経つにつれて 
同じ思いをさせてしまったこと
親としてどれだけ愛情不足だったか
申し訳なくて…
胸が痛くて たまらなくなって
歩いてるだけなのに 勝手に泣いていたりした
ひとりになったら 泣いてばかりいた。
この痛さから逃げたりはできなくて
生きている限り 背負うもんなんやなって
泣きたいんやったら 泣かしとこうかなって受け止められてきたら
泣かなくなってきた。

元夫と協議離婚することは非常に難しい状況だった
弁護士さんにお願いし、調停離婚できたけど
お金をだして 味方になってもらっても
自分の思い通りにはいかなかった
心身共に 感じる以上に疲れ切っていた
グイグイ追われる事が苦手な私に
元夫からの離婚条件の話が あまりにも早くて
想像以上に早く一気にグイグイ進んでしまい
緊張してしまって泣いてしまって
ちょっとパニックになり
冷静な判断をするなんて 無理があった
離婚条件を決める、
 いろんなことが大事やったけど 混乱の中
「いちばんどうしたかったんや、なんのためにここにいるんや」
1個の電話ができた奇跡の隙間時間があり
自分の胸にちゃんと聴けたおかげで
ずーっと心から望んでほんまにしたかったことを選べた。
戦う事も選べたけど、
もうなによりも 別れたかった。
結婚した姓に未練もなんにもなく捨てた
わけのわらからん 大嫌いな元夫を
大嫌いな姑に お返ししてやった、
ほんっまに あんた達クソやったわ、
ば〜〜か。
届けを出した帰り道 鼻歌を歌ってた!!

まさに「 終」。終わった〜っ!!!!

生きている限り 終わったら
次を始めないといけないです。
ご飯もりもりたべれてるので!
遅れて大人になりつつある息子も頑張ってるから・・
色々あっても ゆっくり受け入れていって
今を 生きていこうと 思います。

ゆっくりがんばろう。わたし。

今まで生きてきて

節目節目に ほんまに大きな転機があった。

不思議なくらい だいたい10年おきくらいにあった

起きた事に抵抗もできず  結局しようともせず

流されてばかりやった

楽しい事がなかったわけじゃないけど

心から 笑えた事があったのか 

幸せだと 感じられた事があったのか

この判断で正しかったのか どうだったのか

子供達に 幸せを感じさせてやる事ができていたのか

どんな親でも 親は親

子供達は どんな思いでいたんやろう

実母に 心配をかけたらあかん…

妹に頼りたかったけど 妹の生き方もある

これであっているのか 間違っているのか

誰にも聞けなかったし 勇気もなくなっていた

色んなことを 誰かに たくさん教えて欲しかった・・

信じられるのは自分だけやったけど

その自分にも嫌気が差し始めてから

生きることにも欲がなくなってしまって

自分の先行きを見ないようになってしまって

今 この一日を終わらせる

子供を 1人でも生きていけるようにさせる

自分の年齢より あと何年後には・・って
子供の年齢を数えるようになっていた

緊張しっぱなしやった

私がおかしいのかな・・まちがっているのかな・・も

わからないまんまで 

もういいわ・・ って 思ってしまうのが当たり前になっていた

1人で泣いたって なにも変わらなくて

小さい涙は流れても 大きく泣けなくなっていた

もう 自分の全部に どーでもよかった

自暴自棄っていうんやなって 今更知った

仕事してる時は忙しさに紛れて忘れられたけど

日々の怒りを仕事にぶつけているような働き方は 自分の首を絞めていた

寝てたい…  眠りたい…  なんで起きなあかんのか…

もう 思わなくていい

コタツでウトウトできる事に 涙がでた

詰め込むような食事も 今は ありえへん

緊張しなくていい こわくない

 追い込まれる事も無い

助けてもらいながら ゆっくりな気持ちでいさせてもらってる今に

ほんまにありがとうしかない

幸せを感じられてる自分に びっくりしたりする

自分に余裕がなく まわりを許すこともできていなかった

許せるこれからでありたい  普通に笑っていたい

泣く時はちゃんと泣きたい

争う事も選択できたけれど 私は

最初からずっと心にあった思いを 通すことにした

私がした事を 子供達に謝ったつもりでも

今は受け入れてもらえるわけなんてない  でも…

いつの日か 息子 娘が笑って話してくれてる日を信じて

普通のことが 普通にできる

こんなに楽にできる日がきた事がとても嬉しい

落ち込むことがたくさんあっても 辛くても 

今までのしんどさとは 違う

不自由であっても私のこれからは

自分に正直でいたい そして穏やかに…

ニタニタと笑って暮らしていきたい。


行ってきた!!
グランフロント大阪
namie amuro  Final Space

25年間 かわらないアムロちゃん
たくさんの衣装が展示してあり
アムロちゃんの体型が想像できたり
静かに見てまわりながらあれやこれやと妄想天国でピンクハート
とってもよかった〜。
けど、一個一個終わっていくから
やっぱり さみし〜アセアセ




このポスター
働いている館内の化粧品売り場に貼ってある
めっちゃくちゃ欲しい・・・
誰か持って帰るんやろうなぁ〜
欲しいなぁ〜っ




8/21に アムロちゃんが会場に来て直筆でサインをしたそうです。 

直筆サインとは 思いもしてない
翌日に見れたなんて
知ってしまえば もぅキュンラブラブキュンイエローハーツ 

とっってもステキでした。

いつまでも変わらずで いてほしいです。