翌日、むせ返りそうな豪奢な客室とは対照的に、心細くなりそうなほど質素に作られた傭兵専用の個室に案内された後、傭兵部隊統括の元へ案内された。政治を管轄する宮殿とは離れた敷地内に、王軍の基地が設けられていた。
ヴレイはシリウスの斜め後ろを歩きながら、いつになく緊張していた。統括の名前を聞いてからシリウスの前で平然を装うことに難儀していたからだ。
きっと同名なんだろう、と思いながらも心のどこかでは「あいつに会える」と期待する自分もいた。
幼い頃の記憶がよみがえる。短い間だの付き合いだったが、戦闘技術を共に鍛え、殴り合いのケンカもした友達だ。村を襲われた後にできた初めての友達は、心を閉ざしていた自分に拳を向けて笑ってきた。
八重歯をむき出しに笑う顔はいつも偉そうだった。
久しぶりに恋人に会うかのような緊張で、鼓動が外にまで聞こえてしまいそうなぐらい高鳴っていた。
あれこれと考えながらついにその扉は開かれた。
「ザイド、昨日雇われた新人です」
「シリウスか、悪いけど忙しいから後に……」
部屋にいた男は見ていた資料から視線を上げると、シリウスの隣に立っていた少年を見て言葉を詰まらせた。
「知り合いですか」
「いや」
ザイドはヴレイから視線を外し、資料を机の上に置いた。
漆黒に艶めく大理石の机の前に出てきたザイドは腕を組んた。
机に腰掛けると、木製のタバコケースから手馴れた仕草でタバコを取り出し火を点けた。
「ルベンス執政官からも言われたとおり、俺の直轄に配属となる、と言っても傭兵は雑用の方が多いけどな」
二十代前半だろうその男はタバコを咥えながら口端を上げて笑った。
かなりの長身だった。人並み以上に背の高いシリウスでさえその背には及ばない。近寄れば頭ごなしに見下されそうだ。
黒髪で邪魔そうな前髪の向こうから覗く瞳は灰色だ。
「雑用って」
「連合派の残党狩りとか、あるいは連合軍の各拠点を探索するとか、つまり掃除役だ」
「連合軍って言っても、新王政権の退陣を求める市民連合だろ、反政府活動の鎮圧に軍隊まで介入させるなんて、しかも傭兵まで導入させて、相手は国民なのに」
自分でも不思議なぐらい強きに発言していた。
「あっちだって武装してんだ、丸腰で迎える馬鹿がどこにいる、それにクーデターが事態解決にならない事ぐらい両者とも分かってる。そんなこと以前に傭兵ってのは金さえもらえれば何でもする、傭兵の大半はこの国とは関係のない他国出身だし、しかも元賞金首ならなおさらだ。あんたインジョリックの人間だろ、ここはグランドラインだ、勝手が違って当然だろ」
肩で息をしながら憤慨するヴレイを無視してザイドは握手を求めてきた。
「一応よろしくの挨拶だ」
八重歯を見せてザイドは笑んだ。
鮮明ではないが記憶に残る幼いザイドの姿と重なって、ひどく懐かしい感じがした。しかし、どこか昔の彼と雰囲気が違っていてヴレイは素直に手が出せなかった。
あれから八年、成長と共に容姿が変わっても当然だが、その変化とは違う。ザイドの中の何かが違っていた。外見は同じでも、エンジンだけが積み替えられたエアバイクのようだった。
ザイドの双眸を見据えてから手を差し出したその時、ヴレイの視界が闇に覆われた。
生き物なのか建物なのかも分からない焦げた臭いがして、全身の毛が恐怖で逆立った。耳を塞ぎたくなるような魔獣の呻き声で我に返った。
「大丈夫ですか、顔が真っ青ですよ」
気付いた時にはシリウスが顔を覗き込んでいたので、ヴレイは驚いた。
「大丈夫だ」
返事をした声が震えていた。
「体調が悪いなら自室で休んでいろ」
ザイドは手を引き戻し、机に腰掛けると短くなったタバコを灰皿に押し付けた。
「で、シリウスはこいつと組まされたんだろ、特別な命令でもあったのか」
「いえ、それが何も。それよりもノイゼストの不穏な噂を耳にしたんですが」
シリウスは誰とでも気さくにしゃべれる人間らしく、ザイドとも違和感なく話していた。毒気に当たったかのようなヴレイはザイドを警戒しながら、彼らの様子を視界の隅で見ていることしかできなかった。
「連合軍が集結し始めてるって話だろ。数ヶ月前の市街戦でデモ隊から死傷者が出て、その後かなりの批判を浴びたらしいから、何か有効策を打ち出そうと王軍の諜報部まで刈り出されてるって話だ」
「そうして私達に与えられるのはその後始末ですか。その前に様子だけでも見に行ってはいけませんか」
「そうだな、掃除ばかりじゃつまらないし、ルベンスには伏せておく、行って来い」
* * *
首都郊外のノイゼストは飛獣で一時間程度のところにある街だった。
赤い瓦と青銅の塔が連なる光景は優雅なものだった。石畳の細い小径を通ると住民が暮らす古い石造りの民家が所狭しと建ち並んでいた。
どこからともなく湿った土の香りが漂ってくる。興味本意で少し奥の道に入ると、剥き出しの水路に生活廃水でも流れているのか、鼻の奥にツンとくる臭いがしてヴレイは思わず顔をしがませた。
「ところでさっきはどうかしたんですか。顔は青ざめていましたし、ザイドと口を聞こうともしませんでしたよ」
今はザイドのことを話に出されたくなくてヴレイはつい苛立ってしまった。
「だから何もないって、それより連合軍がどこに集まっているのか調べなくていいのか」
「集合場所を決めておいて、その日までは街中に散らばっているのかもしれませんね」
「彼らが行動に移せば、ルベンスは連合軍を迎え撃つためにあの艦を起動させるかもしれない」
大通りに沿いに歩いていくと噴水を囲んだ劇場広場に辿り着いた。
広場は閑散としていた。たまに商人が荷馬車を引いていたり、土建労働者が荷物を運んでいたりしているだけで、人影もまばらだった。それ以上に不思議なのは、芸術的な劇場区に多くの兵士が闊歩していることだった。
劇団のポスターが貼られるはずの掲示板に何も貼られておらず悄然さをいっそう引き立たせていた。
「何も貼ってない」
「こんなご時世ですから、娯楽どころではないんじゃないんですか」
シリウスの答えに納得できなかったヴレイは、劇場の表に面した道路をほうきで掃いていた老人に話しかけると、良く聞き取れないうわ言をぼやいてから答えてくれた。
「いつまた衝突が起きるか分からないし、どこの劇団も公演したがらないのさ」
やっぱりシリウスの言うとおりかと仕方なく納得したヴレイは次の情報を求めて、その場から立ち去ろうとしたその時、老人が思い出したかのようにぼやいた。
「最近じゃあもっぱら劇場を使うのは連合兵士だよ、ノイゼストは連合派だから劇場の一つや二つ、使ってくれて構わないんじゃけど、お前さんのように劇を楽しみにしている奴も多いんだ」
「そうですか」
ヴレイは老人に礼を言ってからその場を立ち去った。
「訊いてみるものですね」
「そうだろ」得意げに笑って見せた。
その後、ヴレイの提案で二手に別れることになった。
シリウスには軍艦の見張りを、ヴレイは宿を取って劇場の様子を見ることになった。もし軍艦が起動した場合のことを考えると、本当は艦の見張りをしたかったが、あの二人がここに来ないとも言い切れなかった。
その日の夜、ヴレイは外の静けさの中に響く慌しい足音に気付いて部屋を出た。
宿場を出て劇場区入り口までやって来ると、すでに兵士が厳重な警戒を布いていた。物々しい雰囲気にただ事じゃないことを確認したヴレイは闇に乗じて広場に入ろうとしたが、「ここからは連合軍管轄だ、今は進入できない」と止められたしまった。
そこで飛獣を連れてもう一度広場に近づき、建物の裏側から屋上へ飛び移った。そこからはコンクリート建築を豪快に取り入れた、迫力ある劇場を眺望することが出来た。
中からは兵士達の覇気ある歓声が聞こえてくる。
地上が駄目なら上から侵入できると思っていたが、偵察兵が飛獣に乗って上空を巡回していたのだ。飛獣をまたがるヴレイは隙を見ながら、密集する建物の合間を縫ってその距離を縮めていくと、野外劇所の門前まで接近することが出来た。
円形劇場は天井を開けた野外劇場だった。闘志を燃やした歓声が先より色濃く聞き取れた。
外壁の窓枠へ飛び移り、声が聞こえる方へ歩みを進めて行きながら、暗闇に乗じて警備兵の目を掻い潜り、最奥部へとたどり着いた先には、何万という連合兵が集まっていた。
劇場の舞台には人より巨大な鳥を傍に据えた少年の姿があった。
言っている内容までは聞き取れなかったが、確かに少年は何かを演説しているようだった。
「まさかロインか」
彼がいるならルピナもいるはずだと思って少年の周囲を確認してみるが、彼女の姿は見つけられなかった。
階下へ戻ろうとしたその時、眩い閃光が視界をさえぎった。
一瞬の光の後に変わっていたものは、何百という獣が劇場を囲んでいたことだった。突然の獣の出現に兵士達が慌てふためく様子は上からでもよく見えた。だがそれはヴレイも同じだった。
起こった現象に気を取られ、近づいて来る兵士に気付かなかった。
「誰だ、そこにいるのは」