従兄弟2人がかわいいから一緒に載せちゃおう。
色黒以外はこの頃から基本的に変わらない。
5年生(10〜11歳)
小学校生活に飽きるのにも限界が来た。
もともと勉強熱心ではなかった上に、
ランドセル忘れや授業中の居眠りなど
常習犯になる。
また、大手レンタルCDショップが
勢力を拡大し始めた時代とも重なり
荒井から松任谷までユーミンに
どっぷりハマる日々を送っていた。
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そして時は来た。
myフルート
堂々提げ管楽器クラブに入部。
持ってるし、もう吹けるから
フルート以外できません
止める者など誰もいなかった。
あっさりと悪知恵が通用し
フルートライフが始まる。
と同時に、ピアノが疎かになり始める。
ここでピアノの高瀬先生が
発表会用に出会わせてくれたのが
ドビュッシー「アラベスクNo.1」
楽譜付きの動画が見て頂くとわかりやすいです。
それまでの練習やソルフェージュが覆されるような、
独特の和声や8分と3連Mixの衝撃。
必死で練習したので
それなりに弾けるようになった。
(と思っていた)
数ヶ月後。
たまたま近所でやっていた中村紘子さんの
リサイタルを聴きに行くと、
アンコールがアラベスクだった。
あんなに必死で練習した曲をさらっと。
食後の上品なデザートみたいだった。
本当はこうやって
演奏する曲だったんだ
(アラベスクは29:40辺り、思ってたより速い!笑)
数ヶ月前の発表会で
自分がちっとも弾けなかった事を知る。
いや、あれはアラベスクですらなかった。
その後もピアノは疎かになりつつも、
中村紘子さんの演奏の記憶を頼りに、
アラベスクだけは練習を続けた。
ただ単に指が回る、弾ける、
という事ではなく、
自分の小さくて未熟な音楽の世界が
少しずつ広がる手応えがあった。
(気がする)
人生を変える楽器と楽曲に出会い、
小学校生活も残り1年。
つづく