前期高齢者の進行 | 繭蟲のブログ

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日々の暮らし、一緒に暮らす猫・・・綴っています。

このところの体重の増加と浮腫、それに加えて妙な下半身のみ熱が隠るという、なんとも不愉快な日々を送っている。

体重増加と浮腫は「中高年なので仕方ない」と理解出来る。
幼少の頃より太っていたので、ここ最近まで食べ物へも気を使ってきたが、それも通じなくなってきたというわけである。
恐らく身体本体から「これ以上摂取が少ないといかん」との知らせかも知れない。

不思議な事に、44キロ台の時には1キロ太っても「重いなあ」と感じていたが、今はその重さも感じなくなっている。
いや、体重増加さえも敏感でなくなっている状況かもしれない。
前期高齢者から後期高齢者に移行するに、今まで感じてそして経験しなかった「?」な出来事がこれから迫りくるのであろう。
怖さもあるが何処かで「そのように出来ているのだな」と諦めと理解。
そうして月日が流れてゆくのである。

体重はさておき、下半身のみ熱が隠るのには参っている。
去年まで就寝前には布団乾燥機で温めた布団に丸まり、ぐっすりと朝まで寝ていたものだ。
それが今ではそんな事をしたら逆に暑くて眠れないのである。
布団乾燥機は朝、ベッドメイキングと寝室の掃除を終えた後、出社までの間にすることにした。
整体の先生から「漢方医を紹介しようか?」と言われているのであるが、「医院」と聞くと足が遠退くのと「闇医者ではあるまいか…」と返事を濁している。
香港へ行った時、やはり西川先生を訪ねよう。

医者選びは難しい。
自分と価値観があった医師との出逢いは、「パートナー選びとそう変わらぬのではないか…」と動物病院含め、改めて選択の難しさに頭を抱えているのである。






昨日、銀行へ行く途中、公園の陽だまりに丸こい固まりが目の隅に入った。
自転車を降り、老眼の目玉を広げてよく見ると「いた、やっぱり猫だ」。

公園には今は懐かしい、やまままちゃんが猫山へ帰ってから、とんと猫の姿を見掛けなくなったが、やまままちゃんの母猫ヤマモモちゃんと鍵しっぽちゃんは姿を四六時中確認出来ぬが、まだ健在であろうと願っていた。
そこへ鍵しっぽちゃんであった。
シーバの袋を振ると口元が「食べたい」という感じでパクパクした。
石の上へシーバを置き「ゆっくり食べて」とそのまま銀行へ。
戻ってみたら、シーバが少し残っていたので片付けた。
陽だまりへまた丸まっていた鍵しっぽちゃん。
「またあげるね。元気でね」と声をかけた。

公園にはあちらこちらに地域猫のお世話をしている方が設置した箱が置いてある。
やまままちゃんがいなくなってから、公園に住む猫を把握は出来ていないのであるが、ヤマモモちゃんと鍵しっぽちゃんは公園の何処かでひっそりと暮らしているのだ。
やまままちゃんのように一定の所にいないので会うことがなかなか難しい。
ツチノコに会ったが如く「おお〜」とヤマモモちゃん、鍵しっぽちゃんへ会うと嬉しくなるのである。
ヤマモモちゃんは相変わらずぷっくりした体格であったが、鍵しっぽちゃんは少し元気がない様子であった。
「元気で長生きね」と願わずにはいられぬワタシなのである。






九龍のトイレの入り口へカーテンを取り付けたのであるが、お気に召さぬようで、設置数時間で撤退した。
何度も「なんだこれ?」とカーテンをつついたりしている。
「駄目だ」
すぐに諦めた。
言葉発しなくとも愛猫の「気に食わぬこと」すぐにわかるが、旦那にはそうは問屋が卸さない。
逐一、顎の梅干しを作り腹の中で「コイツ!」とムッとする。
愛猫の如くの対応が出来たならいつものノーベル賞である。
受賞は遥か彼方。






ちょっとずつであるが、日の出が早くなってきた感がある。
今日は祭日だ。
相変わらず「何の休み?」と調べず過ぎていくのだ。

今週末、デートの約束がある。
去年からデートの話しが出ていたが、お互いのタイミングが合わず、やっとお会いできることとなった。
店屋へ予約をせねばならぬ。
たかが予約とて楽しい気分になるものだ。
今から鼻の穴を広げて楽しみにしているのである。