続き | 「夢見の森」に眠り、本当の自分に目覚める

「夢見の森」に眠り、本当の自分に目覚める

夢見:シャーマニックな文化の成員が夜ごとの夢をシェアするように、北海道洞爺湖畔に位置する「夢見の森」に、眠り、目覚め、いわゆる進化・文明の発達の影に失われた、古代の叡智を授かる場です。

さっきの話ですが、87年生まれって、born yesterday って感じだ、私から見ると。

私の時代から何かが変わったのだろうか?

釧路も飛行機飛んでる、花巻にも飛んでる。20万都市どころか人口6万だけどよ。

大学は一つある。富士大学?

大学は行くものだと思っていた。で、行った。

行ったら経済格差でやられてヤサグレたけど、自力で脱出した。その辺の事情は話せば長い。

もっと言うと、大学は行くものだった時代は終わっている。

これからはアカデミアを目指す学生以外は、進学する意味なし。

就職の足枷になるから行っておくか、程度のことなら、社会人になってほんとのやりたいことが見つかって大学入り直すくらいの覚悟があった方がよい職業人になる。

芸術に直接触れる機会は、当然ながら、都会はたっぷり。田舎は交通費を使って出てこないといけないので、その分費用は嵩む。その点ハンデは否めない。

しかし、大学生当時、都会の機会に心躍らせたのは最初のうちだけで、機会はあっても金続かない、最終的に田舎と変わらない程度の文化程度になってた。

金が仮に潤沢としても、一人が費やせる時間は有限であり、

岩手県の子供時代も北海道の今も、地元で触れることのできる生の文化的な催しには貪欲に食らいつき、あとは自ら芸術を生み出すことに腐心している。

自分で弾くのだ。

ちなみにうちらの学校は芸術特区にある。

町民全員が全員芸術的かって言うと程遠い感はそりゃあるけど。都会モンが芸術的かって言うとそんなこともないわけで。

個人の資質による。

本なんか図書館の蔵書が貧しければ、室蘭、登別のを予約するとかよくあるし、コスト問題が生じるとしてもネットでなんでも手に入る。

海外の論文なんか逆にPDFでいくらでもタダで手に入るし、日本が版権どうのと騒いでるサピエンス全史(ほんのさっき図書館からお取り寄せ完了のお電話あり。)
の続編だって転がってる。

最後に金問題は、地方格差のおかげで生活コストも田舎は有利だ。

例えば私の暮らしを東京で実現しようと企てたら、皇居占拠せねばならぬ。クーデター。

皇居だって空気とかタンクに詰めて吸入しないと。

つまり、浮いた金で時々観劇とか、かなり絞らねばならないとはいえ、都会に行ってる。

アカデミアでガチに勝負したい人は、これからますます東京スルーして直で海外も行けるし、今更こんなこと間に受けて喜ぶのは、都会で井の中の蛙で過ごしたい、そんな人々だけであろう。

田舎の人間は、親が与えることのできなかったいわゆる一流企業のコネとかないけど、それ以上の遺産を受け継いでいる。

そして出るべき人はどんなに妨害されても出るべきところへ出て行く。

格差なんかゲームのハンデだよ、楽しむためにあるんだよ。

そういうハンデをバネに跳ね返したとか言う話、美談を消費して喜ぶくせに、多くの国民は。

国民ってコンセプトだっていつ時代遅れになってもおかしくない。

あー久しぶりに激情ほとばしった。反動的な思想に。