父の日に | mayuminのブログ

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父は大正生まれで戦争にも行った。

富山の農家(庄屋さん?)の家に生まれ

小学生に上がる年に

子供に恵まれなかった叔父夫婦の家に

養子に出された。


叔父さんは北海道、夕張で商売をしていた。

夏休みに遊びに来た叔父さんが

「おもちゃ買ってあげる

汽車に乗せてあげるから

遊びに行こう」と言われて

喜んで着いて行った、

まさか養子になるとは知らずに。


家に帰りたくて夜泣いたと言っていた。


大人になってもたまに…

娘の私にその事を話して

「あの時、行かなかったら良かった…

子供だったからほいほい着いていって

後悔してもしきれない」と言った。


養父母は優しかったが

養母が早逝してから

父の人生はまた変わった。


養父はその後3回再婚を繰り返し

連れ子だった父を虐待する継母もいたり。


養父は酒に溺れるようになり

夜中に叩き起こされて

お酒を買いに行かせられたり。

「辛かった、だからパパは

お酒は飲まない」と言っていた。

(体質的には飲めるけど飲まなかった)


父の家系は頭が良くて字が綺麗(達筆)

跡取り長男以外は大学も出ているし

姉や妹も女学校を出してもらっていた。


父は、養父が堕落してしまい

小学校しか出ていなかった。

それを…ずっと僻んでいた。


でも他人を助け助けられ

「情けは人の為ならず」の信念で

ずーっと、人の面倒を見ていた。

お金持ちにはならなかったけどね。


手先が器用な人だった

絵画も、筆文字も上手

何より頭が良い、と私は感じていた。


ただ、ひとつだけ。

他人には尽くすが家庭を犠牲にするから

家庭的な母とは、それで喧嘩をしていた。


子供達の夏休み、冬休み

1日で良いから海やスキーに

連れて行きたい、家族で。

私なんかは別に父が一緒でなくても

寂しくないのに

母はとにかく家族全員で、に、こだわった。


頑固で一家の家長として君臨している父。

私はずっと親しみを持てなかった。


時代は変わり

友達の若いお父さんを見ていると

別に威張っていないのに。


厳しいお母さんに叱られている娘を

庇ってくれるお父さんをみて

羨ましく思った。


母に父の愚痴を言うと

その度に母は言った

「パパは不幸な子供時代だったから。

私達がパパに家族の愛情を教えて

あげなくてはいけないの」


それは最晩年まで母は繰り返していた。


耳にタコなんですけど…と

いぶかりながらも、私は母に従った。


父はもう、天国にいて

きっとこの世の私達のことも

見守っていないだろう、と思う。


でも、それで良い。

苦労ばかりの人生で身体も弱かった父。

やっと病気の苦しみから解放されて

天国で楽しくやってくれている

と、信じているから。