死別後の平穏を怖いと感じますか?
私のもともとのママ友で、死別シンママになった子がいます。
死別したのは、私は東日本大震災の年、彼女は熊本地震の年でした。
ママ友という事もあり、子どもの年齢も性別も、むしろ子供の月齢すら同じ。
彼女とは、子育ての悩みも死別シングルの悩みも共有しながら進んで来ました。
先日ご主人の命日に、8年経ったよと連絡をくれました。
そこでお子さんとパートナーの方と献杯をしたそうです。
本当に穏やか過ぎて平穏だったと。
良かったねと思ったのですが、彼女は
「平穏って怖くない?」
と言いました。
旦那様との時も、平穏な生活の中、彼が病気になり亡くなり、一気にどん底に落ちたから、また足元救われたらどうしようと不安になる、と。
この気持ち、分かりますよね。
死別を経験した人だけでなく、急に人生のどん底に落ちた経験のある人はよぎる「一抹の不安」なのかもしれません。
命日と五感
彼女は「命日」と言う日に、8年前と同じ花々や景色を今、目にしているから、きっとそう思うのかもしれません。
「平穏な日々」の中に命日があって、その日の情景、匂い、気温、風の音とか、街の空気とか・・それは大きく環境を変えない限り、毎年のように変わらず在り続けます。
彼女は、旦那様が亡くなったときは、この花が咲いていて、一生分泣いたと自分を振り返っていました。
命日は五感がフル作動して、あの日に引き戻そうとします。
今が平穏であればあるほど、あの日が鮮明に思い出したりして。
あの辛さをまた経験するのは、本当にしんどいと知っているから、すごく怖くなりますよね。
捉え方をたくさん持ちましょう
あの日の絶望と今の平穏さに乖離があります。
あの絶望はまた経験したくないと思うのは、その絶望を経験しているから。
あの日の絶望を経験した過去の私たちは、そんな絶望なんてあるなんて知らない私です。
だから、今のあなたはきっと何が起こっても、あの時とは違う捉え方ができるはず。
ここまでの平穏を手に入れるまで、いろんなことがあったけれど、でも手に入れた実績があるのです。
あの絶望を経験したあなたなら、きっと大丈夫。
そういう捉え方もできます。
平穏が怖いと感じるのは、平穏が尊いと知ってしまったから。
だから、怖いと思えているなんて、実は素敵なことなのです。
それを怖がるのは命日だけにして。
その日くらい、あの辛さを乗り越えた一番最初の自分を思い出し労う時間は来ないから。
よく頑張ってきたね、その平穏を手に入れるまで足掻いてきたのは紛れもなく私だよ。
私が愛おしい、私ならきっと大丈夫と、そう捉えて、自分に声をかけてください。
不安があるのは、真逆の安心を知っているからです。
怖がることも悪くない。
ただ怖がり過ぎたり、そちらを深めて広げる必要はないですね。
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