「お懐紙」で動き出した私の感性 “お懐紙を優雅に使う” | お茶のある暮らしと美意識の追求

お茶のある暮らしと美意識の追求

お茶が好きです。美しいものが好きです。

 

こんにちは。

 

このところの近況報告が続きます。

 

 

 

 

ずーっと家にこもって、

 

寝ているばかりで、

 

こういう時は確かに自分自身の思いや考えを深く巡らせるには良いけれど、

 

代わりに、

 

ずーんと気持ちが澱んでしまって

 

何をするにもおっくうなような心持になっていました。

 

 

 

 

「もう、十分に煮詰まったじゃない」

 

「写真載せて文章書くだけでしょ」

 

「私が出さなきゃ、誰もやってくれないよ」

 

 

 

 

 

わかりきったことを自分に言い聞かせても

 

一向にキーボードの手が動かなくて、

 

だんだん無性にイライラしてきました。

 

 

 

 

「こんな時は外の空気を吸うのが一番!」

 

 

 

と、

 

「気分転換してくるねー(*^^*)」

 

と言い残して出かけました。

(この時の主人の「寝てただけなのに、なんで気分転換が必要なの!?」とでも言いたそうな腑に落ちない表情、忘れません笑)

 

 

 

本屋さんに寄り、

書棚をふらふらと眺め、

これといった本もなかったため

手ぶらで近くのスターバックスへ。

 

 

 

往来を眺めながらコーヒーを飲むだけで

やけに張り詰めていた気分がほうっと緩んで

 
 

「そういえば最近自分のブログのアカウントも開いていなかった・・・」

 

と、ふと開いたとき、

フォローしている伊藤朋江さんの記事が目に留まりました。

 



 

 

 

 

 

「ああ・・・。

私、この感覚忘れてた」

 

 

 

 

 

 

「お懐紙」ってお茶のお席では欠かせない必需品で

 

お茶会だけでなくそれに伴うあらゆる場面で使用するので、

 

 

 

私の感覚では「優雅に使いこなす」というより

 

「普通に使う」

 

感覚でした。

 

 

 

 

 

社会情勢を受けて、

茶道関係のイベントや集まりやお稽古は全て中止になっていました。

お稽古はしていなくても、

毎日お抹茶をいただくのは日課だったのに、

それさえもしていませんでした。

 

 
 
 
 

 

すっかり離れていた状態で、

飛び込んできた

 

「お懐紙」

 

というアイテム。

 

 

 

そこから思い起こされた

 

豊かな世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れていた感覚が呼び覚まされました。

 

 

 

 

 

 

そうだった。

 

 

 

マナーや作法は

自分の心や相手への思いやりを

豊かに表現した行動だった・・・

 

 

 

 

茶席の所作は一つ一つが

その人の感性の表れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一度、

 

私も感性を表現する世界に戻ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこれでブログが書けました照れ

 

 

 

 

 

 

「明日はお抹茶を点てよう。

 

きちんとおいしいお菓子を用意して。

 

 

『虎屋の羊羹!』と言いたいところだけど、

 

手近に買える最良のお菓子を買って帰ろう。」

 

 

 

 

と、小さな決意をして帰りました。

 

 

 

倉敷の橘香堂の手づくり最中です。

「むらすゞめ」のお菓子屋さんです。)

 

 

 

畳に座っていただくと、

 

お菓子の風味や味わいも

 

お抹茶のふくよかさも

 

不思議と

 

体全体に染み渡って

 

全身で味わっているような気持になります照れ

 

 

 

 

ごちそうさまでした爆  笑

 

 

 

※ちなみに、

お茶席ではお菓子は数人分盛られているお皿から

各自、懐紙に取り分けるスタイルが多いですが、

もし、一人一人にお菓子が出されても、

各自が自分の懐紙に取り上げてから

いただきます。

 

使われている器が大切なものだった時

「傷つけたり、汚したりすることがないように」

という、

招かれた人の思いやりですおねがい

 

 

敬遠されがちなマナーの一つ一つに

 

思いやりや理由があります。

 

それを知ると、

 

何を守るべきで、何を崩すべきか、

 

アレンジもきくようになりますよニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、徒然書いておりますが

 

まだまだつれづれ書きます。