ここまで来るのは大変だった
梅蔭禅寺からチャリで15分以上かかったかなぁ
途中暑さに負けて自販機でお茶タイムも
微妙に上り坂だったりもした
「鉄舟寺前」の交差点
鉄舟寺
臨済宗妙心寺派の寺。山号は補陀洛山。
推古天皇の時に久能山上に創建と伝え、久能寺と称した。
現在地には武田信玄が築城のため移転。
明治維新になると、久能寺も次第に散乱し、住職もない廃寺となる。
山岡鉄舟はこれを惜しみ、再興を発願して、仮本堂に今川貞山師を迎えて開山とし広く寄進を募ることにした。明治16年、鉄舟48歳の時である。
ところが鉄舟は明治21年7月、53歳でこの世を去り鉄舟寺の完成を見ることができなかった。
清水の魚商高芝野栄七は元来信仰の篤い人であったので鉄舟の意志をつぎ、幾多の困難を乗り越えて、明治43年3月鉄舟寺の完成を果たしたのである。
鉄舟書扁額が掲げられています
こわぁ~い仁王像が建っております
失礼しまぁす。。。
あれ?
門閉まってる
・・・と焦りましたが、入り口はぐるっとまわった場所にありました
と、その前に、少しのぼった場所に熊野十二社神社
お参りお参り
で、入り口。
入っていいのかなぁ(汗)
ピンポンもないし、引き戸に鍵もかかってないし
若干セコムマークに惑わされたwww
でもここまで来たんだ、入ってみよう
鐘楼
あれは!!!!!!
山岡鉄舟像
りりしい
おじーちゃんの鉄舟さまだ
若かりし頃のお写真、かなりイケメンですよ(Wiki)
山岡鉄舟墓
知らなかった・・・こんな場所にもお墓があったとは
谷中の「全生庵」にありますよね (過去のブログ)
本堂、閉まってましたねぇ~
奥まで行くと住居っぽいところがあったので「すいませぇ~ん」と呼んでみた
そして御朱印をGET
嬉しすぎる、鉄舟寺の御朱印
チャリに乗って来た道をひた戻る
帰りは下り坂だったので楽~
とは言え・・・遠い
チャリの旅ラストはここ↓↓
明治19年、清水次郎長が、清水波止場に開業した船宿(復元)
この船宿「末廣」は、清水港振興に尽力した次郎長の晩年の姿を表現し、幕末から明治をかけぬ けた 次郎長と清水港を知る上で貴重な建築物です。
こちらも無料なんですよ~
1Fにはさまざまな展示
慶喜公より拝領の熨斗目の礼服もあります
映像もあるので、見てから見学するのがいいですね
お土産屋もここにあります。
2Fへ上がってかなりビビった
かなりリアルな人形が
次郎長なんて本当今にも動き出しそうな感じだったよ
英語塾を開講していたので、その風景です
外国人の先生が子供たちに教えてるところです
後ろから見ても・・・リアルだなぁ~
つづく
駿府・清水~蒲郡・名古屋の旅