自分のことを知りたい。
というのは、誰にでもある欲だと思う。
占いが、いつの時代も人気なのは頷ける。
ヨガを始める前にどういう感覚で生きていたか、もう思い出せない。
ヨガは自分との対話。
「自分がどう感じているか、という事を自分に問う。」という事を、していたかどうかも思い出せない。
それよりも、「どう見られるか」「こうあるべき」「期待に応えたい」
そういうことを軸に、そういうことを大切に生きていたように思う。
私は今、絶賛、自分を取り戻す期間。
そういう時に、マインドフルネス瞑想に出会えてよかったなと思う。
私の大好きな陰ヨガと、マインドフルネス。これは本当に相性がいい。
マインドフルネスヨガのクラス、始めようと思います。毎週木曜 10時半~11時45分。
10月スタート予定。
「マインドフルネス」って最近凄くよく聞く。本屋さんでも、よく「マインドフルネス」という文字をよく見かける。
私は今回、兼ねてより興味のあった
「マインドフルネス瞑想マスター講座」というものをに参加した。
講座の核の内容とは少しづれるけれど、
今回参加して、とにかくまず一番初めの衝撃的な気付きは、
「いかに人の話を聞いていないか。自分の話を聞いてもらえていないか」
という気付きだった。
傾聴。
耳を傾けて、聴く。。。
そして解けた謎が一つ。。。
私と夫は、夫婦で過ごす時間が長いし、話もする方だと思う。
朝ごはんも晩御飯も、時には昼ごはんも一緒に食べるし、子供が寝た後も同じ部屋で過ごしている。
にもかかわらず、私は常に
「もっと話がしたい」
と思っている。話してるのに。
先日、私は
「テレビとかついてない状態で、
ちゃんと、話したい」
と伝えたことがあった。
それは別に、深刻な話題があったわけでもなく、他愛もない話や子供の様子や出来事を話したかっただけなのだけれど、静かにちゃんと話したかった。
テレビを見ていた夫は、
「消音」のボタンを押して
「なに?」と言った。
テレビに背を向けていた私は一瞬気付かなかったけれど、
すぐに夫の目線でテレビがまだついていることに気づき、
あきれ半分、笑っちゃうの半分、悲しみ半分で抗議した。
「そういうことじゃないんだけど。」と。
夫も半分はふざけて取った行動だったので、そのあとテレビを消して、
私の他愛のない話や報告に付き合ってくれたし、私が聞きたいことを夫に聞いたりして、テレビのない環境で会話をした。
(それでも最後の方は、携帯を見たりしていたけれどね!)
マインドフルネスとは、
「今、ここ」。
「今、ここ」に集中すること。
現代社会に生きていると、日々の中で「今、ここ」に集中する瞬間なんてないのかもしれない。
信じられないくらいいつも、過去のことや未来のことを考えて、
起こるかもわからない悪い事や良い事を考えて、
昼ごはん食べながら夕ご飯のメニューを考えて、
タスクをこなしながら、次のタスクを考えて、
そして考えてることにさえ気づかないで時間は過ぎていく。
(考えが過ぎると、鬱になったり精神を病んだりすると思う)
私たち夫婦は毎日沢山会話をしているけれど、それは何かをしながら、
「マインドレス」な状態で言葉を交わしていたのだ。
心ここにあらずで。
(だから話しても話しても、もっと話したいと感じていたんだ)
うわの空だったり、相手が話してる途中で「そういえば、」とか言って話をさえぎって自分が話し始めたり、何か余計なことを言ったり、
とにかく「適当に」話していたんだと思う。
相手の話を、顔を見て、目を見て、途中で話を乗っ取らずに、聴けていただろうか。
ぜーーーーーーんぜん、聴けてない。
そして、ぜーーーーーーーんぜん、聴いてもらってない。
傾聴してもらえると、人は
「自分は大切にされているんだ。
自分は愛されているんだ。」
と感じるそう。
私が、夫と毎日話してるのに何故か
「もっと話したい。全然話せていない」と感じていたのは、
「話を聞いてもらう(傾聴)」という事を通して「大切にされている、愛されている」という実感を得たかったからなんだなぁ、とものすごく腑に落ちた。
子供もきっとそうだ。
何か話していても「早くしなさい」と急かされたり、うまく言葉にできない幼い子なら尚更、
親はしっかり「聴く」という事を意識しないと、子供は「聴いてもらってない」と感じるだろう。それは「大切にされていない。愛されていない。」に繋がるかもしれない。
話をさえぎられると、ストレスが溜まる。
聴いてない人に向かって、話すのは、虚しい。
話をきく、というとてもシンプルな行為、誰にでもできる行為でも、
こんなに奥がふかいんだなぁ…
傾聴。
マインドフルに聴く。
まずは自分から、心がけようと心に誓いました。
きっと大切な人との人間関係が、
よくなるかも、しれないね。










