鶯のけはひ興りて鳴きにけり 中村草田男
草田男は、日本野鳥の会創始者の中西悟堂氏と仲良しだったようで、探鳥会(バードウォッチ)にも度々一緒に行っていたことが、悟堂氏の著書「底本野鳥記」に書かれています。
ウグイスは雀目の小鳥で、離島など以外は山と里を行き来して暮らす漂鳥が大半のようです。沖縄にはリュウキュウウグイスという亜種がいて、本州でいうウグイスは冬鳥となるそうです。
歳時記ではウグイスは春の季語なので、本州が基準ということになります。沖縄で作句するとき、季語はどうなるのかしらと思ったりします。ついでに、最近は海外吟も増えていて、冬と夏が逆転する南半球で作った句については、投句の時期を日本に合わせて季節調整するのでしょうね。
草田男のこの句は、いかにも探鳥マニアらしい繊細で直感的な句です。鳥に限らず自然界で動物を探していると、ある種の気配を感じます。ウグイスも同じで、藪陰に潜んでいて、何かのきっかけでふと「チャッチャッという地鳴きが聞こえると、「あっ、いたいた」と誰かがつぶやきます。瞬間、みんなシーンとなって次の一声を待ちます。
チャッチャッという声は、春から夏だけに聞かれる「ホウホケキョ」で知られる囀りと違い、季節を問わず聞こえる声で、ウグイスにとっては日常会話の声といえます。囀る小鳥の場合、囀りと区別して地鳴きと呼びますが、ウグイスの場合は特に「笹鳴き」と呼んでスペシャルな扱いになっています。詩歌に登場するとともに、日本で声の良い鳥とされる「三鳴鳥」にも入っているからでしょう。
その声が藪のどこかで聞こえる前後に「いる」と感じる不思議な緊張感と存在感が伝わっってくることがあります。草田男はこの感覚を「けはひ」と詠んだわけです。
磨かれた感覚で探鳥していると、藪からウグイスの存在を感じさせる波長が沸き起こりました。「きっといるぞ」と思った瞬間、「ホホウ」、「ホケケ」、「ホケケキョ」と、待ちかねた愛らしいさえずりが響いたのでしょう。
けはひという言葉から一瞬笹鳴きを思い浮かべましたが、その後に「興りて」とあるので、「いそうだぞ」といううっすらとした予感よりも強い、「きっといる」と確信した感覚だと私はとらえました。自然観察と作句によって鍛え抜かれた「鳥アンテナ」でキャッチしたけはひから、草田男は鳴くことを確信して一瞬待ちます。そして予想通り、ウグイスは鳴くのです。ウグイスの囀りは雌を呼び寄せることと縄張り宣言が目的なので、囀るウグイスには並々ならぬ強い意思を感じます。だから第一声を発する前に、既にその意思を空中に放電させるようなエネルギーを持っているのでしょう。それが、けはいとして私たち人間に伝わるのではないかと思うのです。
2025年は、私は少なくとも、東京はウグイスの当たり年ではないかと、肌感覚として思っています。昨年秋から何度か散歩している公園で、例年はほとんど聞かれない笹鳴きを何度も聞いたからです。元旦にも聞きました。さらに、日本野鳥の会の知人たちも、あそこで笹鳴きを聞いた、あの辺りでぐぜり(囀りの手前のはっきりしない歌)を聞いたという情報が、春先からちらほら出てきていました。
そんなことから、今年の3月8日、いつもお招きくださっているTBSラジオの番組で、ウグイス探し再チャレンジ企画を実行しました。「再チャレンジ」になったというのは、実は昨年2月にも同じ企画でウグイスを探して都内数カ所から中継したのですが、囀りどころか笹鳴きすらも聞けなかったという悔しい結果になっていたからです。
今回は、スタッフのみなさんと私で力を合わせ、あちこちから情報を総動員して「鳴きそうな場所」をいくつかしぼりました。こうして「かなり確率が高そう」と分った都立光が丘公園に出動したのでした。
ところが、この日は「季節外れ」の寒波が「異例に長く」居座ってしまい、午後には雪の予報まで出たのでした。ウグイス、鳴くわけないよねえ、でも、せめて笹鳴きだけでも聞けないかなあ・・・。謙虚な希望を携え、職員さんがウグイスを聞いたというサンクチュアリ(保護区域)の近くに到着しました。中継なのでそのときに出会ったことを素直に伝えながら楽しくスタジオとお話すれば良いのですが、さすがにこの日は、それだけでは無理だろうと思い、私なりに「バックアップ」の話題をいくつか準備していました。それを少しずつ使いながら中継を進めます。
寒さの割に、小鳥の声はたくさん聞こえました。コゲラという小さなキツツキや、おそらくワシタカ類の鳴き声と思われる「キエ・キエ・」という声も聞かれました。しかし、主役になってもらいたいウグイスは、まさにけはひもないのです。
「聞こえます?」
「いえ、気配もない感じです」
「気配もないですかあ」
ディレクターさんの言葉に、パーソナリティの外山恵理さんは「鳴かないって決まったわけじゃないですからね、はい」と明るくコロコロと笑いながら中継をリードしてくださいました。
本中継が終わり、2時間あまり周辺を探しているうちに、ちらほらと白いものが舞ってきました。本当に雪になるのか、と肩を落としながらサンクチュアリに戻ってベンチに座り、みなさんがエンディングの中継の準備をなさるのを待っていた瞬間、私は何か違う雰囲気を感じたような気がしました。かじかんだ手で白杖を握ったまま半信半疑で耳を澄ませていると
チャッチャッ、チャチャチャ
聞こえました。まぎれもなく、ウグイスの笹鳴きでした。この天気で囀りは無理としても、当たり年なのだから笹鳴きは聞けてもおかしくないと思っていたので、この一声は嬉しかった。
「ウグイス、いた!」
思わずため口になってベンチを離れ、手も引かれずに声のほうへとまっしぐらに歩きました。歩道に出てしまいましたが自転車のみなさんは親切に避けてくださいます。
「ご案内しますう」
とディレクターさんが追いかけてくださって合流。私が彼の手を引くようにして声がした藪の前で急停止。
悔しいことに、笹鳴きはその一回だけで終わりでした。せめて中継まであと5分待ってくれたら・・・。ウグイスさん、お願いしますよお、と頼んでみましたが、ベンチで感じた違う空気は、2度とやってきませんでした。
あれはやっぱり、草田男のいうウグイスのけはひだったのではないかと、私はいまも信じているのです。
(誤変換等、ご容赦ください)
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