私の仕事5 「交通量調査員」
今回は私の仕事シリーズ第5弾「交通量調査員」をお送りします。
「交通量調査」、あまり耳なじみのない言葉かもしれません。
この仕事を最初に見つけたのは、某アルバイト雑誌の激短期アルバイトコーナーでした。
はじめは、交通量の調査って何をやるんだろう、という疑問を持っていたのですが、実際の仕事内容は極めてシンプルなものでした。
交通量調査の仕事内容は、道路を行き交う自動車の数をカウントすること、それのみです。
カウントには、市販のカウンター(カチカチと親指で押して数をカウントする金属製の計器)を使用し、それぞれの車種ごとに複数台連結されたカウンターを押していきます。
実際の現場では、道路の路肩にパイプイスを置いて座り、カウンターでひたすら自動車の数を数えていきます。
カチカチカチカチ、カチカチカチカチ…
カウンターを押す音だけがあたりに響きわたり、独特の光景を生み出します。
おそらく、国道などを走行中に、実際の調査員を見かけられたことがある方もいらっしゃると思います。
この仕事はほぼ、スキルというものを必要としません。強いて言うならば、単調な作業に耐えられる忍耐力と、眠気に打ち克つ集中力、それプラス、夏であれば真夏の暑さ、冬であれば真冬の寒さに耐えられる根性です。
それゆえに応募されてくる人の中には、学生から自営業者、小遣い稼ぎのサラリーマン、フリーター、ホームレスまで、本当に様々な属性の方々が集まっていました。
勤務時間は通常のアルバイトよりも長く、12h~24hと非常に長時間で、耐久力が必要とされるアルバイトです。作業では数時間ごとに休憩を取り、カウントが途切れないようにローテーションをまわしていました。
また、基本の交通量調査の他にも、渋滞列の長さを測る「渋滞長調査」、自動車に乗って行う「走行調査」など、色々なバリエーションの業務がありました。
私にとって、この仕事の内容・環境は非常に居心地が良く、ついつい長期間続けてしまいました。居心地が良かった理由はいくつか挙げることができます。(1)ひたすらカウントするのみで、複雑な作業がない、(2)人間関係がほぼ皆無、(3)基本的に一日ポッキリの仕事であるため、余計なしがらみが発生しない、(4)給与が即日支給、などが挙げられます。
ただ、正直言って何もスキルが身につきません。手っ取り早くお金を稼ぐ方法としてはまさにうってつけなのですが、後々のことを考えると、長期間に渡って働き続ける仕事としては、あまりお勧めできません。季節によって仕事量が大幅に変化しますし、競争倍率が結構高い仕事で、仕事の取り合いのようになっている部分もあります。
私がこの仕事をしていたのは、大学卒業後のフリーターをしていた時期の4~5年間でしたが、少し精神的に荒んでいた時期だったようにに思います。
これがカウンターの御近影です(とても暗い雰囲気のイラストになりました…)
でも、この仕事が存在していたおかげで、その期間はなんとか食いつなぐことが出来ましたし、感謝の気持ちは持っております。
この仕事で一番記憶に残っているのは、早朝原付をかっとばして二時間半かけて勤務地まで向かい、帰りはまた同じ時間をかけて自宅へ戻った、遠い冬の日です…帰る頃には体が氷のように冷たくなっておりました。若い頃は馬鹿なことができたなぁ、という懐かしい思い出の1ページです。
落ちる日
今回は私のたわいもない日常の話を書きます。
私は現在、発達障害の二次障害である「うつ状態」のため、会社を休職しております。ただ、おそらく、もう会社に戻れることはないと感じています。その理由は、非常に濃いコミュニケーションを必要とされる職種であること、半年しか働いていないのに、半年近く休職してしまっていること、などのためです。
最近の私の生活は、本を読んだり、ゲームをしたり、たまに外出したり、月に数回の当事者会に参加したり、ブログを更新したり、などなど、非常に生産性の低い毎日を過ごしています。
正直、毎日ちゃんとお仕事されている方々から見れば、とてもだらしのない、情けない生活に見えると思います。
ただ、現在のこの時間は、これから将来にかけての私にとって、非常に重要な時間であると捉えています。
現在の生活では、家の中に居る時間が長いため、必然的に運動不足になっていきます。
そういう時は部屋で筋トレをしたり、週に1回程度、市営のプールに出かけて泳いできます。
やはり、体を動かすと、何か脳内麻薬のような物質が放出されるのか、非常に快活な、すっきりした気持ちになります。
それでも、どうにもならない、うつ的な気分の日がやってくることがあります。
どうも今日がその日に当たるようです。
お天気が悪いためか、はたまた昨日一日家に篭っていたためか、体調不良のためか、疲れがたまっているためか、原因はいくつでも思い浮かびますが、それを特定することはできません。
このようなダウナーな気分に囚われている状態では、何をやっても不安・苛立ち・焦り・空虚感を感じてしまいます。
本を読んでも楽しくない、ゲームをしてもむなしい、ネットをしていても焦りばかり出てくる、外出をすることも無駄に感じる…
うつ状態特有のマイナス思考のループに陥っているのかもしれません。
そういうとき、私は少し横になってお昼寝をします。
眠りから覚めても気分が回復していないときもありますが、大抵の場合はこれで少し良くなります(長く寝すぎると逆に罪悪感で、さらに気分がダウンしますが…)。
私は発達障害の特性からか、こだわりが非常に強く、うっかりするとすぐに「~ねばならない」思考に嵌ってしまいます。その思考に嵌ったときには、体の調子が悪かろうとなんだろうと、無理をして活動をしてしまい、その結果、空回りの状態となります。
最近では、出来る限り自分の現在の心と体の状態を観察して、適切な行動を取るように心がけています。
時間が解決してくれることも、たくさんあるみたいです。
「果報は寝て待て」ですね。
↑使い方、たぶん間違っていますが…
ですので、今日は無理をしない日にしよう、と思っています。
ブログを始めてから、初めてブログらしいブログが書けたような気がします。
またちょくちょく、くだらない戯言を書く日もあると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
中学校時代
<注意!>
今回のブログは、自己満足の落書き記事となります。
興味の無い方はお読み飛ばし下さいますよう、先にお伝えしておきます。重い感情の吐き出しも含まれておりますので、くれぐれもご注意下さい。
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それでは、今回は私の生育暦、中学校時代について書きます。
私は小学校高学年での集団いじめの経験を引きずったまま、中学校へ進学しました。
自宅から徒歩で15分程度の所にある市立中学校で、同学年の生徒はほとんどが小学校の時と同じメンバーでした。
今思うと、いじめの経験を一旦リセットするためには、遠方の中学校に入学すれば良かったのですが、当時はそこまで考える余地がありませんでした。
中学校では、やはり人間関係で一番苦しみました。
授業中は特に問題なかったのですが、休み時間がひどく苦痛でした。みんな流行の歌謡曲や、TV番組、ファッションの話題などで盛り上がっていたのですが、私はそういったものにはほとんど興味を持てず、いつも机の上に突っ伏して寝ているフリをしていました。
中には少数のクラスメイトが話しかけてきてくれることもありましたが、会話のレスポンスの悪さから、次第に引かれていくようになりました。この頃から、私は他人との交流を極力避けるようになっていったように感じます。
クラブ活動では、バスケ部に所属していました。当時身長が175cmあり、中学生としては平均より高く、そのため身長を活かせるスポーツが良いのではないか、と思ったためです。本当は文科系のクラブに入りたかったのですが、肥満を治したかったことと、周りから根暗と思われたくない、という気持ちから、バスケ部を選びました。
しかし、このバスケ部に入ったことは、正直間違った選択であったと感じています。
バスケ部のメンバーは、かなりやんちゃで勝気な人間が多く、私とは正反対の気の強い性格の人ばかりでした。おまけに、体育会系の部活というのは、いじめとしごきの区別があまりないため、私の外見や運動神経の悪さについて、ネチネチとしつこくいじめられました。
その中でも仲良くしてくれるひとが数人はいたのですが、いじめの際には見てみぬフリをされていました。
そのうち部活に行くのが嫌になっていき、ほぼ幽霊部員的存在となりました。ただ、なんとか辞めてしまうことだけはせずに、卒業まで部活に在籍はしていました。
中学校時代、嫌な記憶として残っているのは、二年生のとき、クラスの「議長」になったことです。ホームルームの司会進行役にあたるのが議長なのですが、何故消極的な私が「議長」に立候補したのか、その当時の感情は今でもわかりません。きっと、私の自己顕示欲が一時的に高まってしまったのだと思います。
ただ、この「議長」への立候補が、大きな挫折を生む結果となりました。二年生の時のクラスは、かなり荒くれ者の多いすさんだクラスで、教室にはいつも騒音が飛び交っていました。
通常、議長になった生徒がホームルームで司会をするときには、担任の先生がフォローを入れながら進めていくものなのですが、当時の担任の先生はまったくフォローを入れてくれませんでした。
何か、常にうつ病のような沈んだ雰囲気を醸し出されていた先生で、少し気の強い生徒から暴言を吐かれると、落ち込んで塞ぎ込んでしまわれるような先生でした。学級崩壊、とまでは言いませんが、ひどく無秩序な状況の中で議長の役をすることは、私にとって非常に辛いものでした(議長に立候補した私の自業自得ですが…)。
勉強の方は、算数と体育が大の苦手、その他は可もなく不可もなくという感じでした。
ただ、一番強烈に印象に残っているのは、技術家庭の授業で成績「1」を取ったことです。
技術家庭の授業で、金属をヤスリで削って特定の形(私は数字の8の字)に加工し、最後にピカピカに磨いてペンスタンドとして完成させる、という課題があったのですが、この課題で大ヘマをやらかしたのです。
手先が非常に不器用な私は、なかなかうまくやすりが使えませんでしたが、時間をかけてなんとか完成させることが出来ました。
完成させた作品を一度自宅へ持って帰り、次の日かばんに入れて学校へ持っていきました。先生に提出しようとかばんから作品を取り出したとき、ギョッとしました。昨日ピカピカに仕上げた作品が、ズタズタの傷だらけになっていたのです。作品は布にしっかり包んでかばんに入れたつもりでしたが、登校中に布が外れて、かばんの中で筆記用具とぶつかって傷だらけになってしまったようです。
そのズタズタになった作品を見たとき、思わず泣きそうになりましたが、先生に事情を説明してとりあえず提出しました。その結果、生まれてはじめて、通知簿に「1」の数字をいただきました。このときほど、自分のおっちょこちょいさ、いいかげんさを痛感したことはありませんでした。
中学校の三年間には、全体的にあまり良い印象がありません。学校から帰ってきてからは、家でテレビゲームをするか、漫画を読むかしかしておらず、ただぼんやりと過ごしていました。毎朝学校に行くのが常におっくうだったのも覚えています。修学旅行もまったく楽しめず、義務として参加していたような感じでした。この頃から、人間不信と自己嫌悪、マイナス思考という私の基盤が形成されていったように感じます。
またまた、私の感情の吐き出し、記憶の整理だけの長文記事となってしまいました。
でも、現在の私があるのも、この時期を通り過ぎて来たからだと思いますし、決して忘れてはいけない記憶であるとも感じます。

