かっぱのテキト~お気楽裁判傍聴記 -8ページ目

第3号法廷 決して運転してはいけない人

  一見、綺麗にまとまっている事件であっても、検察官の手によって一転、見え方がグルリと変わることがある。

  目を閉じてジッと検察官の言葉を聞いてるのは被告人T(男性、52歳)。彼の罪状は

「自動車事故過失致死」

  Tは妻、母親、子供3人警備会社に勤めている。事件当日、Tは18時ごろに仕事が終わり、普通自動車で帰宅途中、横断歩道中の被害者A(68歳)をはねてしまう。Tは車を道路の端によせて、すぐに被害者の元へ近寄り、自分の携帯にて警察等に連絡をした。被害者は病院に搬送され、Tはその場で逮捕となった。被害者は回復することなく、数ヶ月後亡くなってしまった。

  証人台に立ったのは妻である。Tは真面目で温厚、子煩悩。買い物や部屋・庭掃除など、家事の手伝いをしてくれる。事件発生後の三日間の拘束後、被害者の入院してる病院に、見舞いのために足しげく通い、謝罪も済ましている。被害者家族の許可を得て、お通夜や葬式の参列もしている。墓参りもしている。被害者家族からは「事故は起こそうと思って起こしたわけではない。これから先もあるし、頑張っていきなさい」という言葉をもらっている上に、量刑に関しては「被告人が憎いけど、家族がある身なのだから・・・。わざとじゃないのだから、厳しい処罰を求めません」と寛大な言である。

  被告人は十分に反省し、被害者家族も許し、もう何も問題ないように見える。が、検察官の手によって事件の見え方が変わってくるのだ。

  まず事故現場。夕方時なのでやや暗く、人通りも少ない上に、週に1、2度しか利用しない道(だから不慣れ)だと弁護されていたが、何とも見通しのいい直進なのである。Tは遠くの信号機を見ていて、手前のを見てなかったのだ。たとえやや暗くとも、見通しのいい直進で横断歩道中の歩行者をはねてしまう・・・Tの不注意さ加減におや?と思う。

  さらに検察官の一手。そもそもTは交通違反歴が多い。なるほど・・・今回の事故は偶然の悲劇、ハプニングなのではなく、違反を繰り返すTの運転ならば、いつかきっと起こるのが決まっていたことなのかもしれない。

  そして検察官のだめ押しの一手。もう運転免許はとらないと誓っていたTであるが、検察官が「事故後の調書では免許は取るかもしれないと言ってたけど、心変わりしたの?」「被害者がなくなるまで、そう思わなかったわけ?」。被害者は病院に運ばれたときには既に重傷で、見舞いに訪れるたびに、悪化していく姿を見ていますね、とTに確認しつつ、このだめ押しである。

  重篤な被害者を目の当たりにして、まだ運転免許を取ろうとする意志があること、これまでの度重なる交通違反歴。Tは罪に対して鈍感なのだと確信した。いや、鈍くても感じればいいが、不感症で、もしかしたら交通違反なんてなんとも思ってないのかもしれない。

  更なる小出し情報。Tは会社にはバス通勤と言ってあるのだが、車で勤務していたのだ。理由が便利だから。

  運転免許はもう取らない、取らせないと誓っていたTと妻に、検察官は祖母の足腰が弱ってきて、車が必要になっても取らせないの?など何度もその覚悟を確認していたが・・・以上の情報を総合して考えるに、とにかく自分に甘く、交通違反に関する規範意識を希薄で、喉元をすぎればなんとやらで、何かと理由をこじつけて免許取得するに違いないと思った。

  検察官の攻勢はまだ続く。被害者と被害者家族の関係についてである。詳細を語ることはなかったが、被告人と遺族の間は上手くいっておらず、もともと疎遠だったのだ・・・。つまり、疎遠だからこそのあの寛大な言であり、情状酌量の証拠とはならないというのだ。遺族の言葉は寛大・寛容で凄いと感心したが、あまりにも綺麗すぎるなあという違和感もあった。そこに「被害者との関係性」という欠けていたピースをはめ込むことで、そういうことなのか・・・とすんなり納得できるものだった。そういえば、被害者家族から誰一人として傍聴に来てなかった。

  こうして、良き夫が不幸にも起こしてしまった交通事故から、認識の甘い交通違反常習者によって起こるべくして起きた交通事故に様変わりとなった。情状酌量の余地も一転して疑わしいものとなった。このようにして、ハリボテがひっぺはがされる瞬間が快感である。