かっぱのテキト~お気楽裁判傍聴記 -2ページ目

第8号法廷 5歳男児餓死事件 II ― おにぎりの味


  それに対して、弁護人の弁護である。

  まず、Yの訴える自傷行為・不眠・体重激減(生理不順)といった症状を、うつ病の症例と照らしあわせ、実際に医学的な診断がされてないとしても、潜在的養育能力が低いとした。

  続いて、彼女の取り巻く環境に着目し、虐待をするかどうかは構造的なものであり、要素さえ揃えば誰でも虐待してしまうと訴えた。つまり、環境がそうさせたのであって、明確な動機が無く、個人的な責任に求めるのは違うとした。

  食事は用意してたし、完全なネグレクトではない。T君が何もしなければ、暴力もふるってないし、日常化もしてないと弁護した。

  そして、供述調書に関しては、調書の際に録画を願い出たが断られた上に、Yが病気の状態なのに(弁護人の話ではそうなっている)まともに答えられるわけがなく、弁護人の立ち会いもなかったために、その信用性は欠くものだと主張した。なぜ供述調書の際の録画を断ったのだろう?

  弁護人は「構造が~構造が~」と念仏のように唱えていたが、虐待を引き起こす構造に追い込まれている人なんて、大なり小なりたくさんいるんじゃないのかな。そこで実際に虐待に走ってしまうかどうかは、結局、個人の資質の問題じゃないの?踏みとどまる人もいるだろうし、途中で引き返せる人もいれば、Yのように行くところまで行ってしまう人もいる。たとえ構造が虐待スイッチを押させたとしても、餓死するまで深く深く押し続けさせたのはYの人間性じゃないの?弁護人が構造という言葉を発するたびに、T君は餓死しても仕方がなかったんだと言われているようで腹立たしい思いだった。

  弁護人は更に刑罰の軽減を訴える。①折り合いの悪かった姑は脳梗塞を起こして既に鬼籍、②借金にまみれた無責任な夫とは離婚、③母親との関係は良好(今更、母親ヅラされてイライラすると証言してなかっただろうか・・・)、④児童相談所が介入、以上のことからYを取り巻く環境は改善、つまり虐待を引き起こす構造ではなくなったため、もう虐待を繰り返すことはないだろうとのこと。

  そして、次女のためにも早期の母子再統合の実現の必要性を説いていた。え?我が子を餓死するまで追い込んだ母親に、次女の育児を任せろとでもいうの?長男を死ぬまで徹底していじめぬいて、その傍らで次女を可愛がることができた、そんな残酷な母親がまともな教えを子どもに授けることができるの?

  どうも弁護内容がいちいち燗に障るのだが、その最高潮がYの最終陳述である。

  Yが涙ながらにこう陳謝した「私が母さんでごめんね。助けてあげられなくてごめんね。もし許されるなら、娘を育てさせてください。どんな刑罰でも受け入れます」

  「ダメです。許されません」と心の内で即答してしまった。長男に詫びを入れた直ぐ後に、次女の育児を懇願する言動に、どうしようもない無神経さを感じずにはおられなかった。そもそも、Yは実名も顔写真も報道されており、今後、刑期を全うし、母子再統合やらが実現したところで、社会の目からは逃れられず、むしろ娘の成長に悪影響を与えるに違いない。それならば、まだまだ幼い内に、母親と完全に縁を切って、遠く離れたところで育つ方がまだマシなんじゃかろうか。Yは子どもを取り上げられても文句が言えないほどの重罪を犯したと思うし、この期に及んでまだ育てさせてくれとは虫が良すぎる。まあ所詮は母子統合だなんて刑期軽減のための作戦なのかもしれないが。

  さて、裁判冒頭にあった女性裁判員の質問に返ってみよう。

「おにぎりにちゃんと味をつけてましたか?」

  検察官や弁護人の弁を聞きながら、あの質問の意図は何だったのか、考えを巡らせていたのだが、はたと閃いた。あの女性裁判員は、YのT君に対する愛情を計りたかったのだろうと。ただ飯を握るだけでは機械的な作業ともとれるが、そこに味を付けるという一行程が加わるだけで、相手に美味しいものを届けたいという思いやりが感じ取られるようになる。一見、突飛に思われるが、とても面白い質問だと感心するばかりだった。Yは味付けはしたと返答していたが、どうも口元でごにょごにょ濁すようで何をどうしたのか、クリアには聞き取れなかった。ちなみに、彼女は最後まで食事を与え続けたという弁護があったが、死ぬ直前までおにぎりを与えたなんて医学的にありえないと、ばっさり一刀両断されていた。末期のT君はおにぎりを食べられるような状態ではなかったのだ。つまるところの「嘘ついてんじゃねーよ」ということである。

  Yには懲役9年6ヶ月の判決が下された。

  人一人殺しておきながら、その程度で済むんだというのが正直なところ。T君が骨と皮のようになっていき、このままでは死んでしまうことぐらい分かっていたはず。それでも、虐待し続けた。故意の殺人にほかならないでしょう。「保護責任者遺棄致死」という罪名に終始違和感がまとわりついたのだった。

  こうして、僕の初めてにしてはあまりにもヘビーすぎる裁判傍聴は終わった。テンションどん底のままに裁判所を後にすると、例の如く裁判所の芝生でシカの親子がたむろっていた。その姿があまりにも眩しくて、また一筋、涙がこぼれ落ちた。