きょうはいつものヨガがワークショップ形式だったので
4月のヴェーダーンタの教えもひっくるめてーの、お話
+アーサナ、チャンティングと盛りだくさんまつりで満足でした♪
でも、4月ヴェーダーンタ(とよばれる)の教えがちんぷんかんぷんだった
わたしにとっては「なっちゃんの整理されたお話できけばわかるかなー」
って思ってきいていましたが、
理解と同時に謎もたくさんでてきました。疑問、かな~?
まずは「自分を客観視することの大切さ」でした。
もちろん、痛みや苦しみ、怒りなどマイナスの感情は
俯瞰でみられたほうがいいにきまっております。
(つまり、「ほんとうのわたし」が客観的に見ることによって
冷静になれる)
しかしですねぇ、たとえばめちゃくちゃ痛みがきちゃったとき
怒り爆発
のときにはなかなか客観的になれないものです。
だから、どーしたら客観的になれるのかしら?というところが
凡人としては知りたいところなんじゃーないかな、と。
もしかしたら、なんですけど
わたしは邪道なんですけどね。
怒りまくっても、泣きまくってもいいのかもしれませんよ?
え?ヨガ的じゃない?
わはは。
だってみんな俗物的じゃないですか。
でも、今までは泣きわめくー(エンドレスー!)だったのを
そのあとに「なんちゃってー」とか「もうおしまいー」「やめー!」
と一区切りつけます。(ま、気のすむまでどうぞ)
そして「わたしとしたことが(大前春子風に)泣いてしまった」
「それは悲しいからだな。こんな理由で」
「しかたないね。悲しかったのだね。でも、泣いたからもういいじゃないか」
と一段落したらもうひとりのわたしを登場させるのです。
そうすると、なんかすっきりするんじゃないかな。
人間だもん。急には客観的にはなれない。
だから、もし主観的になっても、がっかりしたりめげることなく
「これでいいじゃん」「よくやったよ」と一言いってあげてみてはどうでしょう?
わたしの中で、褒め褒め隊を作っておくのです
あと、最大に思っていることはなんですが
シャバアーサナのときって客観的なわたしが
ありのままのわたしをみても、幸せ~ですよね?
「幸せで快適な」その状態をよく覚えておくんです。
そうすると、不快に感じたとき、その心地よい感情に
どうやったらもどれるのか探って行動してみること。
これがいちばん、客観的なんじゃないかな?
どう?
そして、もう一つ。よくいい行いは「プンニャ」といって
徳を積んだことになり、そうでない悪いことは「パーパ」
と呼ばれています。前世からも関係していて・・・
ナーンていわれていますが
前世なんて、知らん!(ごめん・・・。ヨガをすごく習っている方
申し訳ない 笑)
なんでこんながんばってんのにー。前世のパーパなんて
どうしようもないじゃないのよー
となってしまいます
(わたしなら、ですが 笑)
そんなときは、ふつうに「一日一善」
わたしもまわりも笑顔に。
なーんて思って、さりげないやさしさを形にしてみるんです。
もう、この際パーパなんて忘れて。
きっとそうしているうちに、プンニャの貯金がいつのまにか
つまれていくのでは?
なーんて思うのです。
ヨガやヨガ的な生き方、ぴんと来るひとはどこまでもぴんぴんくるでしょうし
まったくこない。スンともこない。
スポーツっぽいからしてる、痩せるからしてる、とかそういうひとは
もしかしたらお話の部分は退屈だし自分には関係ない、と
思ってしまうかもしれません。
でも、いつか、続けていくうちになんか生活していて
「あれ?これってもしかしてヨガでいってたことじゃーん!」
なんてなる日がきます。
わたしは真面目に取り組んでたった3か月でこんなにぴんぴん
きまくってて「ほんとに、3か月?」と怪しまれてますが
わたしはたまたま人生で悩んだり考えたり感じたり
疑問に思っていたことが、ヨガを通して謎解きが
めっちゃくちゃ行われていっているので
まいかいすっきりしてしょうがないんです。
ぜんぜん、俗物的ですけど。
ちょっとだけいい人、くらいで(笑)