こんにちわん、まゆっちです
私の相棒がよく、「しょうがないじゃないですかー」と言ってすぐにあきらめようとするのを見ては、
私は「なんとかせーよ!!」と、あきらめずにがんばって、なんとかすればいいじゃないかと思ってきました。
でも気づいたのです
「しょうがない」って超、超、超スペシャルワードだったのを!
「しょうがない」って、今目の前の現実、起こっていることを受け止めてるってこと。
この、自分が創り出した現実を、しっかりと受け止めて、引き受けてるってこと。
あきらめるっていうとネガティブなイメージかもしれないけど、それは完全なる降伏で、完全なる受容。
降伏すれば幸福になる
って、意外と言霊的に真理かも
それでね、ネドじゅんさんのお話の中に、イマココにいる時だけ、私たちの中にある「変容体」というものが発動して、現実が変化する、というのがあるのです。
こんな現実は嫌だ!
もっと素晴らしい未来があるんだ!
あの頃は良かった!
なんて、今ここを認めず、受け入れず、否定して、意識を未来や過去に飛ばしている間は、その変容体は発動しないので現実は変わらない。
でも、この現実をちゃんと受け止めて、受容した時に、意識が今ここに完全に着地した時に、変容体が発動して変化する。
よく、探し物を探していると見つからないのに、探すのをやめたら見つかったとか。
子どもが欲しいとがんばってた時は授からなかったのに、あきらめたら授かったとか。
こんな現実は嫌だ、もっと違う現実をって思ってる間は、変容体は発動しないので残念ながら、この現実は変わらない。
まずは、嫌でもなんでも、この今ここに起きている、目の前にあるものを引き受けること。
だって、自分で蒔いたタネだしね、自分で刈り取らないと先に進めないよね。
変わりたいと思うなら、
変わらなくていいと思うこと。
変わらなくていいと心底思ったなら、変わっちゃうってこと
この現実に全面降伏です。
だからね、望んでない現実がやってきても、それをやだやだやだやだ!ってなんとかしようとするよりも、「しょうがない」と言って、あきらめて受け入れた方がいい。
「しょうがないなあ」とか、「まあいいか」とか、「あきらめよう」という言葉は、現実を受け入れて、切り替えて、変容体を発動させて、結局は新たな現実を創造する。
病気も、治そうとしなくなったら治ったって、結局そういうことだよね。
それに気づいたら、
何か望んでないことが起きても、ジタバタせずに、受け取るだけ。
起こることすべては、ただ起こってるだけ、起こってることが過ぎ去っていくところに私がいただけ。
その出来事に、反応してもいいし、反応しなくてもいい。
どっちにしても、ただ起こって、去っていくだけだから。
もちろん、今ここで出来ることがあるなら、それをやればいい、できないことなら受け入れるだけ。
と、ここまで書いて、左脳が思い出した💡
同じようなこと書いてたでって
そそ、あきらめのパワーってすごいんですって話でした、笑
でも、3年前に書いたことも、こうやってネドさんのお話と合致して、やっぱりそうかーって確認作業なのです。
そして、相棒がしょーがないしょーがないと言うのを、あかんたれめ!と思ってたのに、実は悟りの境地かよっ!と悔しい思いもしつつ、笑
でも、私もますます現実を受け入れられるようになってきたよ
変化することを期待してるんじゃない。
本気で、これでいいと思える。
望みはある。
だけど、今の現実も受け入れられる。
望みは投げて、あとはこの現実を愛していくだけ。
いつもありがとうございます