☆小林、20代を振り返る2☆ | 小林麻祐子のしゅーるでぃず。

小林麻祐子のしゅーるでぃず。

職業、女優。
今までアイドル、モデル、歌、作詞、香川県でのテーマパークダンサー、パレード、フラ、タヒチアンダンス等、いろいろなことを経験。
様々な経験を生かして次へステップアップ☆
映画大好き小林です☆

●27歳、香川、雛団時代続き。(いや、髪の長さからしてこれは26歳だ。)



※一度、香川での久しぶりの連休に姉と韓国。しかも、現地集合。韓国集合よ。私は関空からで、姉は成田か羽田からだからね。
この時は夏明けの連休だから、色黒余韻が。。姉より黒い。

そして、ショートヘア続きで飽きた私はウィッグを被ります。



ウィッグ&帽子着用で韓国の「ディスコジャンプ」は乗るものじゃないです。
「私は今日までの命だったのか。good-byeJAPAN」と何度思ったか。まだ乗り物が動いている時にぐったりしている姉を見て、本気でお姉ちゃんが死んでしまったんじゃないかと何度思ったか。

あんなに恐ろしい乗り物はこの先出会うことはないでしょう。


●27歳の写真続き。




※一ヶ月間の栃木は那須塩原、日光遠征。初めてのホテル暮らし。群馬が近いけど、帰れなかったのは仕事なので仕方ない。本当にお世話になりました。



※行ってみないと、住んでみないとわからないことっていっぱいあります。

虫の生態には詳しくなりました。(主にカマキリとカメムシ)カミキリ虫も見た時には「呂布だ!呂布だ!」と、一人で興奮。



●28歳、フリー、東京に戻る。




※本当に香川に丸2年いました。連休になると東京や群馬に帰っていたとはいえ、やはり戻ってきた時の違和感はなんとも言えなかったです。「これは連休で東京にきているんじゃないか?」と。
「住めば都」なんて誰が言った言葉なんでしょう。人間の対応能力には脱帽です。
あとは、東京戻ってから食べたうどんにはびっくりしました。私の舌は完全に香川のうどん仕様になっていたのです。
香川のうどんが大好きです。今でも本当に。もっといろんなお店のうどんを食べておけば良かった。






※戻ってきてからは、いろんな人に戻ってきたことを伝え、撮影に呼んで頂いたり、人を紹介して頂いたり、写真撮ったりetc. ご縁でお仕事を頂けるのがありがたかったです。Vシネマにも関わらせて頂くようになりました。そして日活時代(18歳~19歳時だから今回は載せてないよ)の仲間との朗読劇も。



相変わらず、自由に韓国にも。

あとはここぞとばかりに暇になると群馬の実家に帰ってました。


●29歳、フリー→事務所にお世話になる。



※Vシネマ、中国ドラマなど関わらせて頂きながら、自分のペースで変な焦りもなく仕事をやらせてもらってました。それこそ25歳くらいの時は最高に焦ってたと思います。「これで大丈夫なの?平気なの?なんで未来は見えないの?」って。その時に比べたら、一人の時間の楽しさも、仕事の楽しさも、人間関係も、すごく気持ちが楽に29歳は過ごしていたかも。



途中で髪もばっさり。20センチくらい切った。もう今はのびてきてますが。



相変わらず姉と韓国行ったり。



写真撮影もして頂いたり。
そして秋には新しい事務所が決まり所属致しました。これからどうなるかなんて全くわからないし、結果なんてすぐに出るものでもないので焦らず、やっていきたいですね。


そして年齢的には一般的な結婚適齢期なんだと思いますが、まだまだ先になりそうです(笑)そこに関しても本当に一切の焦りがありません(もうアイドルでもないので、私の結婚なんて興味ないと思いますが)(笑)


そんな感じでもうすぐ、ドモホルンリンクルを注文出来る年齢になります。

楽しくいこーぜ!!

最後に
「小林、川崎駅路上でオリジナルソング熱唱」をお送りします。約3年前の映像です。



※ちなみに歌詞は「アイドルなんてやってたよ」って言ってますが、ほとんどアドリブに近い歌詞なので気にしないで下さい。「アイドルが嫌だった」とはとらえないで下さい。むしろ大好きだったので。


カモン!30!

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@k_mayunnnn