☆小林、20代を振り返る☆ | 小林麻祐子のしゅーるでぃず。

小林麻祐子のしゅーるでぃず。

職業、女優。
今までアイドル、モデル、歌、作詞、香川県でのテーマパークダンサー、パレード、フラ、タヒチアンダンス等、いろいろなことを経験。
様々な経験を生かして次へステップアップ☆
映画大好き小林です☆

1月11日でまたひとつ年齢を重ねます。

足掻いてますわ。悪足掻き。わるあがき。
まさか自分が、昔から他人事として見ていたCM、ドモホルンリンクルを頼める年齢になるとは思ってなかったです。


姉からはまだ26歳くらいだと思われていて、良く行くお店の店長にも誕生日を迎えて25歳くらいになるんだと思われていました。


30です。

もう、三十路です。


小林です。

それだけはみんな平等だからな。時間の流れだけは。


ってことで20歳から振り返ります。


●20歳、成人式。



※誕生日前だったので、厳密には19歳。決してヤンキーではありません。眉毛ほそっ。当時、かっこいい髪型にしたくてやったけど、今思えば可愛い系もやってみたかったな。


●20歳、melodybee時代。



小林、右下。
CD のジャケットです。




これ、たぶん活動めっちゃ初期の頃。




雰囲気がアイドルっぽくない件。

※いや、まじでケータイに写真が残っていないので写真を写メしました。。誰か下さい(笑)ネットで画像拝借していたら、CDがアマゾンで出ていました。貴重なんだから転売しないでっ(笑)←でも気になる方は是非(笑)カップリングのリミックスver.は私の声のオンパレードです。

当時ね、20歳でしたが、年齢不詳でやっていたので私は25歳~30歳くらいに見られていた模様。公表出来ないジレンマと闘っていました。でもね、毎日、レッスンかライブで休みもなかったけど、仕事出来るのが嬉しくて本当に楽しかった。
実はCD発売イベントに父が来てくれましたが、 当時苗字もなく「まゆ」という名前だけだったのに、父がうまい棒のファミリーパックを持ってでかい声で「まゆこ~!」と呼んでくれたことを昨日の事のように覚えています。

そして数年後、某オーディションで一緒になった子が私の自己PR聞いてて後から話かけられて「私もメロディービーでした」と言われました。私達の後にもう一回別メンバーでメロビー出来てたのね。




●21歳、Be next時代。





ラゾーナ川崎ナムコワンダーパークヒローズベースにて。週末定期ライブ。




ラゾーナ川崎での楽屋にて。ケーキ食べてます。



小林、左。

※ケータイになかったので拝借しました(笑)同じく写真、下さい(笑)

毎週末、ラゾーナ川崎内、ナムコワンダーパークヒローズベースステージにてライブさせてもらってました。いやいやいや、女子校行ってたらこんな感じだったのかなって。時間もお金もなかったけど、毎日のように一緒にいて本当に大好きで楽しかった。家族みたいな。ライブ終わりにいつもやってたクレーンゲームのぷっちょグミとマリオカート。大好きだったな。
ちなみにDVDリリースしてますが、さすがにアマゾンにはなかったです(笑)



●22歳、Be next→PoP時代




※Be next解散が決まり、小林は思考回路が停止。路頭に迷ってました。そしてメロビー、Be nextとずっと一緒にいたのにライバル意識が強く、あまり喋った事のなかったゆりえちゃんと話したら「私は一人でも音楽やるよ」という答え。「うへー!この子凄いよ!」と思った私は、ゆりえちゃんに便乗させてもらった(笑)(ゆりえちゃんとしても予想外だっただろう)
ダンスを封印したボーカルユニット「PoP」結成に至る。




小林、左。(さすがにわかるか)


●23歳、PoP




※基本的にロングヘアが板につく。はじめて自分の歌声と向き合いましたが、完全にゆりえちゃんにおんぶに抱っこ状態だったなと。ボイトレに行き、カラオケ通い。歌詞を書き、年中ゆりえちゃんと一緒に居た気がします。




※事務所の舞台に出演した時のもの。ゆりえちゃんも出演。芝居したかったから、事務所入ってからの初めての舞台でめっちゃ嬉しくて気合い入れてたな。


●24歳、フリー、ニコ生主時代。




※4年弱お世話になった事務所退所と同時にPoP解散。ちなみにゆりえちゃんは今でもしっかり音楽やっています。フリーになり、髪型も自由なので憧れていたボブヘアにしました。すごい気に入ってた。ここからしばらくボブ小林時代。フリーになったからってもちろん仕事はない。メロビー、Be nextメンバーでもあった、おばあちゃん主催の朗読ライブや舞台に出演していました。
そしてニコ生開始。




相方は胸に下げたローリングシャインキャノン。(う○ちじゃないよ)

ちなみに韓国にハマりだしたのはこの時期。毎晩、姉と電話しながらYouTubeサーフィン(←暇かっ!)
事務所にも入ってないから時間も自由で韓国にも出向く。ちなみに初めての韓国は父と姉と3人で。



●25歳、フリー時代。




※かわらず舞台やったり、ニコ生やったり、姉(小林慶)の曲「恋待ち空」のMVに出演させてもらったり、 写真はMVより。
フリーに行き詰まりを感じ出し、オーディションを受けまくっていた。その中で引っ掛かったのが、そう、、、



●26歳、香川、雛団時代。



※ここまでくればケータイに写真いっぱい入ってるわよ~!
実は香川行った次の日が26歳の誕生日でした。初日だけは寂しくなって泣いてました。(ちなみに18歳の東京上京初日も泣きました。)全く知らない土地だったしね。

ステージデビューまでの約3ヶ月間は毎日、HIPHOPダンス、アクション、MC、パレード、フラ、タヒチアンの練習。ありがたいことに舞台も出来たから、その時は芝居の稽古も。なかなかハードな毎日。




※メイクもステージ映えするように濃くなる。2年間毎日のようにMCをやらせて頂いたのはなかなかない事。 たまに東京戻るとメイクが濃くて驚かれてました。


●27歳、香川、雛団時代。




※パレードで毎日ドレスを着る為(しかも純白)プライベートでの願望が一切なくなっていた。(ちなみに現在も)

ちなみに夏になると、、



※小林、黒ギャル時代。毎日炎天下でショーやってたら日焼け止めなんて効きません。自分は自黒だったんだと思い込み、途中から諦め入ります。小学生以来の日焼けでした。


これ以上写真UP出来ない限界まできたので、つづく。

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@k_mayunnnn