モルモン教会では聖書とは別にモルモン書が使われています。
聖書もモルモン書も「福音ライブラリ」というアプリで無料で読めるので気になる方はぜひ検索してみてください。
モルモン書は、末日聖徒イエス・キリスト教会にとって聖書と並ぶ聖典です。
これは、古代アメリカ大陸に住んでいた人々の歴史と預言、そして復活したイエス・キリストが彼らに教えを説いた出来事を記したものです。「イエス・キリストに関するもう一つの証」と位置づけられたものであり、長い編纂の末に聖書から失われた多くの尊い部分を回復したとされています。
聖書で教えられていることはイエスキリストを信じる信仰、悔い改め、贖いによる救い、罪の赦しであり、モルモン書で教えられていることもイエスキリストを信じる信仰、悔い改め、贖いによる救い、罪の赦しです。なら、「聖書があればモルモン書はいらないんじゃないの?」「モルモン書と聖書は教えの何が違うの?」「聖書のどこが失われてモルモン書のどこで回復されてるの?」と思われるかもしれませんが、実際モルモン教徒も「モルモン書で福音が回復されていると」漠然と信じているだけで、具体的にモルモン書で何がどう回復されているのか問い詰めると「宣教師に聞いてください」「失われた部分が回復されているとは、分かりやすく回復されていることです」「アメリカ大陸にイエスが降臨した話が回復されています」などなどはっきりしない答えしか返ってきません。そこで自分なりに何が回復されているのか考察してみました。
結論から言いますと、聖書では否定されモルモン書では教えられている真理とは
教会の指導者また預言者とは偉大な勇者であり、歴戦の猛者であり、無敗の提督にしておおいなる方、大賢者にして武勇に優れた完璧な聖者である
ということです。つまりモルモン教会の指導者、預言者は完璧ということです。なぜそうなるかというと
まず、キリスト教で使われる天地創造からイエス以前までの歴史を記した旧約聖書には、たくさんの預言者や偉大な王様が登場します。
預言者ヨナは神から敵国の首都ニネベの人々が「悪い行いばかりしているので悔い改めを述べ伝えるように」指示されましたが、恐れおののき船にのって逃げ出し巨大な魚にのまれました。
しかし彼は自身の行いを悔い改め魚から吐き出されるとニネベに行き神の教えを述べ伝えニネベの人々は救われました。
預言者モーセは、当初は「口が重く、舌が鈍い」と言って神の召命を躊躇しました。
しかし兄弟のアロンに補佐され エジプトからの脱出(出エジプト)、十戒の授与、律法の伝達など、イスラエルの歴史上最も偉大な預言者の一人となりました。
ソロモン王は晩年、多くの異国の妻たちに影響され、異教の神々を礼拝するようになり、神の怒りを買いました。
しかし知恵の王として知られ、イスラエルの最盛期を築き、エルサレム神殿を建設しました。
旧約聖書には様々な預言者や王が登場しますが、みな偉大な功績もあれば人間としての不完全さもあります。
そしてイエスはソロモンについて「偶像を礼拝し神の怒りをかったソロモン」ではなく「ダビデの人気に嫉妬して追いかけ回したソロモン」でもなく「栄華を極めたソロモン」マタイ6・29
とソロモンのいいところを語っています。
そのイエスキリストの弟子である12使徒が書いた、もしくは12使徒が伝えた教えをその弟子たちが書いた文章群が新約聖書なのですが、その中には使徒たちのいたらなさ、不完全さ、普通の人間ぷりがたくさん書かれています。
弟子たちが船乗っている時に嵐にあい、「溺れて死にそうです」と叫びイエスから
「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」 (マタイ8:26)と言われました。
またイエスのように水の上を歩こうとしておぼれかけたペテロにたいしてイエスは「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」 (マタイ14:31)
となんども信仰が薄いと言われました。
しかし百人隊長やカナン人の女など、イエスから信仰が強いと言われた人たちがいます。
数千人の群衆がイエスの話を聞きに来ているとき食料が足りなくなると、弟子たちは「群衆を解散させようか買いに行かせようか」あーだこーだー言っているとき1人の子供が少しの魚とパンを提供するとみなその模範に従い満ち足りました。ヨハネによる福音書の6章1節から15
マタイによる福音書 8章5節〜13節
マタイによる福音書 15章21節〜28節
また福音書の最後では、12使徒のユダがイエスを裏切りヤコブヨハネらが徹夜で祈る際に何度も居眠りし一番弟子のペテロはイエスが捕まると3度も知らないといって号泣しましたが、女弟子たちは十字架にかかるときまでイエスとともにいて復活したイエスに出会い生前復活するとイエスが言っていたことすら信じず悲しんでいた12使徒たちに復活の良き知らせを伝えたのは女弟子たちでした。
12使徒たちはその後世界中を旅して自分が至らなかったときに人々が見せた信仰の強さや犠牲、愛や忠実さを述べ伝えました。
がしかし、モルモン書はその真逆なのです。預言者ニーファイは「金銀財宝を捨てて荒野でサバイバル生活をする」「意地悪なラバンの元へいって先祖の記録を殺されかけながら持ち帰る」「荒野で生肉を食らう」「弓が折れて飢え死にしかける」「船を作るように命じられ船を作るための道具からして作る」「嵐にあう」などなど様々な試練に遭いながらも全てに不平不満をいう
兄たちにいじめられながら完璧な対応をし、不完全さがありません。モルモン書の預言者は全て完全で完璧であり周りが間違っていて被害者であります。最後の預言者モロナイは自分以外の全ての人々が堕落して最後に金板の記録を地面に埋め死にました。それを1827年9月22日にジョセフ・スミスが近所の岡から掘り出しモルモン書として出版し新たな預言者となりました。そしてモルモン教会の歴代の預言者も誰一人教会を間違った方に導いたことを認めたことはなく教会の歴史を教会が正しく迫害をうけた被害者であるように編集して会員に教えるのでネットで色々なことが暴露されています。
つまり聖書は「自分を下げて他人を持ち上げる」「人々から教え導きを受ける」
モルモン書は「他人を下げて自分を上げる」「他人から迫害を受ける被害者」
モルモン書は表向きは「愛、信仰、慈愛」などと神の子羊のようなことを言っておきながら中身が真逆なのです。