【複製】アーサ・キット「Sho-Jo-Ji=證城寺の狸」 | 迷えるオッサンの老惨禄

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チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。

●本日は昼寝しすぎであたふた・・さて大昔〇〇年前のリブログ記事でもとアーサ・キットの『証城寺の狸』を引っ張り出してきた。

 
♪アーサ・キット「Sho-Jo-Ji=證城寺の狸」 
 
原曲・証城寺の狸囃子作詞;野口雨情 作曲;中山晋平  1925年
★アーサ・キットSho-Jo-Ji (腹ペコ狸Hungry raccoon)1955年
YouTubehttps://youtu.be/kWqN3grN96Q(歌・Eartha Kitt)
 
Sho-Sho-Sho-Jo-Ji Sho-Jo-Jis raccoon
證 證 證城寺 證城寺の庭は(の狸)
He is always Hungry So he sings KOI-KOI-KOI
ツツ月夜だ皆んな出て(いつも歌ってばかりで腹ペコだ來い 來い 來い
He will rub his haed& tummy Rub it & Rump-ump-ump
おいらの友達ァぽんぽこぽんのぽん(お腹や頭やお尻を叩いてランパンパンパ)
Makeruna Macaroni JellyBaens & Pinks for Morning
負けるな負けるな(マカロニ) 和尚さんに負けるな(朝のゼリー豆&お菓子)
KOI-KOI-KOI KOI-KOI-KOI  All he says is KOI-KOI-KOI
來い來い來い 來い來い來い 皆んな出て 來い來い來い
 
Sho-Sho-Sho-Jo-Ji Sho-Jo-Jis raccoon
證 證 證城寺 證城寺の庭は(の狸)
He is always Hungry So he sings KOI-KOI-KOI
ツツ月夜だ皆んな出て(いつも歌ってばかりで腹ペコさ) 來い 來い 來い
Always  Hungry  very hungry  That’s Why he singsKOI
己等は浮かれてぽんぽこぽんのぽん (彼が歌う時はいつもとても腹ペコさ)
 
ー以下繰り返しー
Sho-Sho-Sho-Jo-Ji Sho-Jo-Jisraccoon
He is always Hungry So hesings KOI-KOI-KOI
He will rub his haed& tummy Rub it & Rump-ump-ump
負けるな負けるな和尚さんに負けるな
來い來い來い 來い來い來い 皆んな出て 來い來い來い
 
Sho-Sho-Sho-Jo-JiSho-Jo-Jis raccoon
He is always Hungry So hesings KOI-KOI-KOI
Always  Hungry  very hungry  That’s Why he singsKOI
 

 
■当時知人のブログで、チェロキー・インディアンの文字について興味を持ち検索していたら、私の子供の頃に聞いた黒人女性歌手アーサ・キットの名前を発見して懐かしい思い出が蘇った。


私が覚えている彼女の歌は3つ、ショージョージ(証成寺)ウシュクダラそれにセッシボンであるが、うち証成寺だけでも是非クリックして聞いてみてほしい、

 

日本の童謡「証成寺の狸囃子」をエキゾチックかつエロチックに歌う彼女に魅せられた稚ない私の気持ちが分かってもらえるかも知れない。しかし、大半の読者はご存じないと思うのでその人となりを紹介しよう。

イメージ 1

 

アーサ・キットを一言でいえば人種差別の根強い195060年代のアメリカで、人気TVシリーズ「バットマン」で元祖キャットウーマンを演じ、黒人として最初のセックスシンボルとなった女性歌手として特記される存在である。

 

ちなみに当時のハリウッド映画が描く黒人女性は白人家庭のメイドか農婦が定番であり、セックスアピールで男を誘惑する危険な存在としての女性はマリリン・モンローに象徴される白人女性の専用特権であったが、そのタブーを破って自由奔放に生きる新しい黒人女性のイメージを創り上げた点でまさに先駆者といえよう。

アーサは大恐慌前年の1928年に南カロライナ州に生まれ、父は貧しい白人農民、母はチェロキーインディアンの血を引く黒人農婦だが両親は未婚で、母親が私生児として育ててきたが、生活苦と人種差別から8歳の時にニューヨークの黒人街ハーレムに住む叔母の所へ預けられた。

 

貧しい暮らしは変わらなかったが、ショービジネスの中心ニューヨークと音楽やダンスが日常化しているハーレムを背景に才能を発揮、17歳でダンス一座のオーディションに合格後ダンサー兼歌手としてアメリカ・ヨーロッパを巡業、1950年にパリのナイトクラブでソロ歌手としてデビューを果たした。

イメージ 2

 

■以来猫なで声の神秘的キャラクター即ちセクシー歌手としてのアーサ・キットが確立され、映画監督オーソン・ウェルズは「世界でもっともエキサイティングな女性」と評し、1951年にはニューヨークのブロードウェイで凱旋公演、以後は映画・TV女優としても活躍その地位を不動のものにした(画像)

しかし、1968年反骨精神旺盛で自由奔放な彼女の言動が思わぬスキャンダルを起こすことになった。
即ちホワイトハウスで開催されたジョンソン大統領の昼食会に招かれたアーサはベトナム戦争について“私自身が自分のお腹を痛めて子供を生んだ母親ですそんな子供たちをあなた方は戦場に送っている。若者たちが反抗してドラッグに走るのも不思議ではないでしょう”と批判したのである。


この発言に激怒したのがジョンソン大統領夫人で、以来アーサはホワイトハウスのブラックリストに載せられ、CIAまで絡んでアメリカの主だった劇場やコンサート・ホールへの出演は不可、レコードとの契約も切られるなど以来10年間にわたってアメリカのショー・ビジネス界を追放され、再びヨーロッパへ活動の拠点変更を余儀なくされたのである。

だが、彼女の才能はその後も衰えず、1978年にはブロードウェイの黒人ミュージカル“Timbuku”に出演して大絶賛を浴び、83年には“Where Is My Man”で本格的に音楽界にもカムバック、世界のゲイ・ディスコを中心に爆発的なヒットを記録、初のゴールド・ディスクを獲得した。
以来ゲイ世界(LGBTQ)も不動の地位を確立、全米・ヨーロッパ各地でライブ活動を続け60年間にわたって国際スターとして活躍してきたらしい。

 

ところがこのブログを書くためあれこれ検索中、「元祖キャットウーマン、アーサ・キットさん逝去」の報を知った。昨年末のXマスの翌日(20081226日)結腸癌で死去、享年81歳であった。

 

謹んで大往生した黒人女性の先達アーサ・キットのご冥福を祈りたい。

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
ちゃんちゃん