ニジェール内陸デルタと黄金郷トンブクツー | 迷えるオッサンの老惨禄

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チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。


●この稿は10年前の2008年に書いた「ニジェール川内陸デルタと伝統的米作」の再編版である。旧稿は題名からして馴染めないお堅い記事風で、コメントを見ると結婚後所在不明となった河合塾の先生1名のみであった。

で今回はタイトルに扇情的?な「黄金卿」をつけて改題したが、中身は大差なしと言われれば♪ハイそれまでよ~★であるが、少しでも興味を持って頂ければ幸いである。



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■ニジェール川は全長4200kmに達し、ナイル川・コンゴ川に次ぐアフリカ大陸第3位の大河で、ナイジェリアで大西洋(ギニア湾)に注ぐ河口には巨大なデルタを形成している。

一方、ギニア山地に発するニジェール川は北進してサハラ砂漠に衝突して大きくカーブを描いているが、砂漠との衝突地帯には幅
150km、長さ400kmに及ぶ広大な沼沢地が形成され、それがニジェール川内陸デルタなのである。

つまりニジェール川は上図のようにギニア湾にそそぐ河口デルタの外、サハラ砂漠に流入する中流部で珍しい内陸デルタを形成しているのである。




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■現在は内陸国マリ領内に位置するこの内陸デルタは雨季(6~8月)から10月までは洪水による大氾濫原が出現して一面の湖面と化すが、乾季の11~5月はニジェール川の細流を網状にめぐらすステップ景観を呈し、伝統的な遊牧民の宿営地となってきた。

ちなみに当地では氾濫を利用して3500年前から固有のアフリカ稲(グラベリマ種)の伝統的浮稲耕作が営まれ、アジア稲発祥の南アジア(インド・ガンジスデルタ)とともに米作の発祥地とされ、乾季の遊牧による家畜糞尿と雨季の氾濫・湛水による窒素分供給が肥沃度を保ち無肥料栽培を可能にしてきた。

ところで現在アフリカ最大の米作国はナイル川デルタのエジプトであるが、同国は1917年にジャポニカ米(日本種)を導入後発展した新興の米作国で、古代エジプトでは米は栽培されていない。

なお、アフリカ米は1年生で多年生のアジア米に比べると単位収量が小さいため、今日ではアフリカ米の原産地西アフリカでもアジア米が主流となっているところが多い。

しかし、アフリカ米は乾燥や病虫害に強いなど耐乾性や耐虫性に強い特性があり、昨今では両者を交配させたネリカ米などの新品種も改良され注目されている。



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■一方、アジア米のインドとともに米作発祥の地ニジェール内陸デルタは、最古のアフリカ黒人文明の発祥地ともなっている。

その中心がニジェール川とサハラ砂漠との結節点トンブクツーで、内陸デルタの米・もろこし栽培を基盤にサハラ横断交易を通じて北アフリカのアラブ人・ベルベル人と金・岩塩・奴隷を取引する一大貿易センターとして発展を遂げてきた。

そのためイスラム教の影響も大きく、8世紀から栄えた古ガーナ帝国や古マリ帝国・ソンガイなどの黒人王国はいずれもイスラム国家で、メッカ巡礼で大金を使う国王の住むトンブクトゥーは「黄金の都」としてヨーロッパ人羨望の地となってきた。


■しかし、16世紀以降はポルトガルによる海上交易ルートの開拓に伴うサハラ交易の衰退に加えて砂漠化の進行と相まって衰徴の一途をたどり、かつては10万人を超えたトンブクツーも1万人台へと激減、砂と泥に埋もれた街として忘れ去られてきた。

特に近年はニジェール内陸デルタの砂漠化は著しく、中でもトンブクツーを中心とする内陸デルタ北部は、上流部の首都バマコ(人口約200)を潤す灌漑用ダム建設もあって水量が激減、今日では完全に枯渇化している。


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■なお、トンブクツーと南部内陸デルタ内のジェンネは往時の面影を偲ばせる泥作りのモスク(写真)や市街地が珍重され、1988年には世界遺産に登録されている。

また、1990年以降この地がパリ・ダカールラリーコースに指定されたこともあって一時は観光都市として脚光を浴びたが、水不足に加えて2012年以降イスラム過激派の拠点となってさらに衰徴しているようである。



以上「ニジェール内陸デルタと埋もれた黄金卿トンブクツー」のお話、かなり時間を費やしましたが、少しは興味とロマンを感じて頂けたでありましょうや・・・???


































ちゃんちゃん