一応9/28の記事から、続き?デス
この一ヵ月強くらい…具体的には10/3の記事以来ということになりますが、
『仏教』というものを通じて、
ワタシが感じてきたことを 「あ~。うん。! そゆことかっ」
と、まずはアタマで理解し、さらにはそれを実践し、実感し…
と、やっていまして。
やっと、この記事に戻ってみます
繰り返しになりますが、もともと、「ブッダが“瞑想”によって悟りを得た」
というザックリとしたエピソードだけは知っておりまして、
そんでもって「ヨガというものが その究極形は“瞑想”」だと
これまたザックリ(今思えば)わかっていたわけでもあり、
以前からそこを深く掘り下げたかったのであります。
(そこに、自分の内面をかえりみる出来事があって、
それをきっかけとしてココマデ来ております
)
さて、<その1>の中でワタシが一番思っていたことは実は…
ある意味では“憤り”みたいなものなのですが、
「大人の多くが、自分のからだに対して鈍感なまま過ごしている」
と感じていることがあり、
そこに疑問というか、「それでいいんかいや?」
というような気持ちがあったのでございました。
なので、<その1>の中で
『ヨガを行なうことで こどもの頃のような解放した感覚を取り戻してもらう』
というようなことを書きましたが、
それはすなわち、『もっと(いい意味で)敏感になろーYOっ
』
ということでありました。
ただ、ここ最近の『仏教』の勉強を通じて
その「こどもの頃のような感覚を取り戻す」だけではいけなかった
と、気付いたのでありました。
それは、上にも挙げた10/3の記事『瞑想の種類』というところから、気付いたのですが、
9/28のほうの記事でも、ラストに
「こどもの持っている鋭い感覚を、大人仕様に移行するってことなのかな?」
って書いていました。
つまり…こどもは、“意識せずに感覚を解放できている”分、
逆に“いろんなものにものすごく影響を受けてしまう”んです。
ただ、持っている生命力的パワーが強いので、
例えば“人格まで侵食される”ことはないのですが、
『まわりにいい意味で影響され過ぎず“自分をコントロールする”』
…つまり、『常にココロを平安に保つ』という芸当は、できないわけです。
(つまり、あること…例えば体操クラスをしていても、
「ドン!」と大きな音がしたら、そちらに意識が向いてしまって
なかなか“今取り組んでいること”に意識を戻せない、
なんてことがありマス
あとは、ちょっとしたことで泣いたり怒ったり、
しかもその状態からなかなか抜け出せなかったり…ということも。
わかりますよね
)
ようするにここには“意識する”…
つまり…『自分の感覚の把握』という技が必要になるってことかと思います。
(って、9/28のにも書いているな
)
つまり、自分のやっていること、自分に起きていることに“気付かない”ままでは、
次の段階にすすめないのです。
(やっぱりブッダじゃないから(笑)簡潔にはまとめられませんね
ま、ワタシ的に『ヨガ』サイドから、検証していることですしね
と、自己弁護
)
じゃあ。結局。
ヨガで、どのように、それを練習していけばいいのか。
しかも、“以前”の取り組み方と、何が違うのか(ワタシ的に)。
…これは、前から自分でもヨガクラスをやるときにお伝えしていたことではありますが
『目を開けたまま、ポーズを行なう』…
もう少し詳しく言うと
『目を開けたままでも、目を閉じているのと同じレベルで、感覚への集中をする』
!!


はい。
あれ? なんか、そんなこと?
みたいな感じですかね
これを説明するのは、新しい記事にしたほうがよさそうです
そしてとりあえず(
)記事をアップさせたいのもあるので、
ここまででアップしたいと思いまふm(__)m

この一ヵ月強くらい…具体的には10/3の記事以来ということになりますが、
『仏教』というものを通じて、
ワタシが感じてきたことを 「あ~。うん。! そゆことかっ」
と、まずはアタマで理解し、さらにはそれを実践し、実感し…
と、やっていまして。
やっと、この記事に戻ってみます

繰り返しになりますが、もともと、「ブッダが“瞑想”によって悟りを得た」
というザックリとしたエピソードだけは知っておりまして、
そんでもって「ヨガというものが その究極形は“瞑想”」だと
これまたザックリ(今思えば)わかっていたわけでもあり、
以前からそこを深く掘り下げたかったのであります。
(そこに、自分の内面をかえりみる出来事があって、
それをきっかけとしてココマデ来ております
)さて、<その1>の中でワタシが一番思っていたことは実は…
ある意味では“憤り”みたいなものなのですが、
「大人の多くが、自分のからだに対して鈍感なまま過ごしている」
と感じていることがあり、
そこに疑問というか、「それでいいんかいや?」
というような気持ちがあったのでございました。
なので、<その1>の中で
『ヨガを行なうことで こどもの頃のような解放した感覚を取り戻してもらう』
というようなことを書きましたが、
それはすなわち、『もっと(いい意味で)敏感になろーYOっ
』ということでありました。
ただ、ここ最近の『仏教』の勉強を通じて
その「こどもの頃のような感覚を取り戻す」だけではいけなかった

と、気付いたのでありました。
それは、上にも挙げた10/3の記事『瞑想の種類』というところから、気付いたのですが、
9/28のほうの記事でも、ラストに
「こどもの持っている鋭い感覚を、大人仕様に移行するってことなのかな?」
って書いていました。
つまり…こどもは、“意識せずに感覚を解放できている”分、
逆に“いろんなものにものすごく影響を受けてしまう”んです。
ただ、持っている生命力的パワーが強いので、
例えば“人格まで侵食される”ことはないのですが、
『まわりにいい意味で影響され過ぎず“自分をコントロールする”』
…つまり、『常にココロを平安に保つ』という芸当は、できないわけです。
(つまり、あること…例えば体操クラスをしていても、
「ドン!」と大きな音がしたら、そちらに意識が向いてしまって
なかなか“今取り組んでいること”に意識を戻せない、
なんてことがありマス

あとは、ちょっとしたことで泣いたり怒ったり、
しかもその状態からなかなか抜け出せなかったり…ということも。
わかりますよね
)ようするにここには“意識する”…
つまり…『自分の感覚の把握』という技が必要になるってことかと思います。
(って、9/28のにも書いているな
)つまり、自分のやっていること、自分に起きていることに“気付かない”ままでは、
次の段階にすすめないのです。
(やっぱりブッダじゃないから(笑)簡潔にはまとめられませんね

ま、ワタシ的に『ヨガ』サイドから、検証していることですしね

と、自己弁護
)じゃあ。結局。
ヨガで、どのように、それを練習していけばいいのか。
しかも、“以前”の取り組み方と、何が違うのか(ワタシ的に)。
…これは、前から自分でもヨガクラスをやるときにお伝えしていたことではありますが
『目を開けたまま、ポーズを行なう』…
もう少し詳しく言うと
『目を開けたままでも、目を閉じているのと同じレベルで、感覚への集中をする』
!!



はい。
あれ? なんか、そんなこと?
みたいな感じですかね

これを説明するのは、新しい記事にしたほうがよさそうです

そしてとりあえず(
)記事をアップさせたいのもあるので、ここまででアップしたいと思いまふm(__)m


なのかいねぇ






だったのです
1230~13 りぶらホールにて

だったので そういうのもあるかい?と思い一気に書いてみました