山村俊雄のブログ -2ページ目

春雨に項垂れて

昨夜半より静かに降り落ちる雨。しんみりと部屋の隙間に潤う。

猫達も雨の夜は静かに寝息を立てて寝んでいる。

胸壁に沿って雨が染み込むと同時に苦くも甘い想いが満ちてくる。

 

半世紀以上生きながらえて、ぽっんと独り布団にくるまって耳を澄ます。

 

今夜は長い夜になりそうだ。

 

浮いたり沈んだり。

 

兎に角この数ヶ月気持ちの浮き沈みが激しく、投げやりな気持ちに覆われてしまいこの際もう良いか

そろそろ辞めちゃうか、なんて気持ちがむくむくと湧き上がり自分自身危機感も感じてしまい

ヤバイなー、、、良いかー、、、疲れたー、、、イヤイヤー、、、もう少しだけ。

夜も寝付けぬ日々が多く、深酒して記憶飛ばして夜半に目を覚まさないで熟睡したと錯覚して寝た感じ。

これは此れで次の日などに鬱々として仕舞い心休まらない。

 

少々自暴自棄になっている今日この頃ではあるのだが、些細な切っ掛けで浮上する事を願いつつ

 

11月の季節、光、空気、風などに巻かれつつ活ければ良いな。

ヘタレ絵描きの独り言

 

公益性だとか、社会に対して、、、。

独りのヘタレ絵描きと致しましては無力感は手放したくないです。

と言いますのも、箸にも棒にも掛からぬモノを日々せっせと作っては壊しの生活に勤しむこの身には浮き世の風はあまりにも冷たくもあり、

時にはふともう良いかなどと心過ぎる一瞬、ふわりと浮遊して当て所なくフラフラと彷徨い歩き、結局一枚の紙に着地しては一本の線に導かれ

零れ落ちた絵具の滲みに救われる日々は満更捨てたものでは無いのです。

非力な自分のこの感情共々懐深く抱えつつ見定めて無力な自分でありたいと思います。

誘い水・逃げ水

 

海図に国境線引きしてある時の陣取り合戦には些か辟易としてしまう。

国境って何だろう。

 

アフリカの地図は無惨だ。切り分けられた大地は、ゲームの盤面。

曖昧な朦朧とした意識の中でふらっと旅に出たくなるのだが、幾たびか歩いた足跡には錆びた記憶が横たわり

苦い思いが口中に広がる。

 

追いかけては幻。逃げては現実。

落ちて行く時は一人じゃないか

 

この二、三日居た堪れない気持ちに覆われてブログに書き表す事により荒んだ気持ちもここに来て大分落ち着きました。

昨日も記載しましたが、知人からまた聞する僕に対しての否定的な言説にはほとほと参ってしまいました。

 

特に心許した方からの口から出た言葉にはいい様のない苦い気持ちで心折れました。

 

知人の言葉を鵜呑みにしても良いものか等々その事ごとについても確たる証拠もなく何処かで否定したい気持ちもありますが

いづれにしてもこの様に僕の気持ちに影がさし次回会った時どの様な気持ちで会えばいいのか、ここしばらく会っていないし

放置して時間の推移に任せるのが最善だと思いまして、この件に関しましては終わりたいと思います。

終ぞ思いもせなんだら〜

これだけ好き放題に生きて居れば何かと周りの方々が鬱憤遣るかたなしの気持ち高まり遂には

山村は〜あーだーこーだーっう話になって人格否定にまで発展いたしまして、この様な事案には慣れる事は

出来ないものでそこそこしょんぼり致したりします。

 

 

お会いした際に言ってくだされば良いものの、山村のことであればまだしも共通の知人の方など間に挟まれたりすると嫌な気持ちになります。

 

 

 

 

 

ぼくも一応人の子なればこそ、その様な言説播き散らす方々とは此れからはお付き合いは差し控えようと思っております。

いらぬお世話ではありますが口許寂しくならないのかな?

 

 

 

 

 

 

 

饗応

安直に同意して其の場凌ぎの矢継ぎ早な身もふたもない世間話に花咲かせる。

情け無い時間を過ごして何が楽しいのやら。

 

空しさいっぱいのこの気持ち遣る瀬無いな。

どのみち自分自身を刻々と切り分けて貧しくも哀しいひと時を過ごす方々に幸あれ。

 

 

 

サヨナラだけが人生さ

 

そろそろ此処も潮時か。

以前、大谷資料館前に住んでいた時観光客は今程でもなく実にノンビリとした時間が流れていました。

沢山の鳥や虫達緑は鬱蒼と茂り今の資料館前とは大違いでした。

 

此処宇都宮市大谷町に係わり続けて約25年思えば一番長く住んだ土地でした。

住みやすい環境であった事は確かでした。大谷資料館の以前の持ち主の方には大層お世話になりました。

 

今では別の人の管理になり強制的に住んでいた家を追い出され、我家も含めてみるみる内に廃家に土を被せられてアスファルトで覆い尽くし駐車場へと変貌しました。今でもあの駐車場下には在りし日の宝船舎の母屋が埋もれていることと思われます。

 

数少ない知人の方々も亡くなられたり、引っ越したりで、様変わりしました。

此処大谷に住み続ける意味と言いますか感じなくなってきてはいます。

で、そろそろ次の展開を準備中です。

胸壁を浸す8月の雨

 

この数日足踏み膠着状態の感情。

6月の粗熱が収拾して、時にふっと迷い込む隙間。何もかもが嫌になり自己嫌悪の大行進の真っ只中。雨音に打ちひしがれて、枝垂れた気持ち。

 

ひたひたと胸の内側に侵食する嫌味な時間。今日1日は沈むに任せ後退する。

 

そんなひと時。ひとつ風呂にでも浸りこの胸の内溺れさせよう。少しは良くなるかも知れない。

 

また一人遠い所へと逝かれた。

 

また一人遠い所へと逝かれた。1994年大谷資料館で展覧会を開催した時に出逢い、それ以降も大変お世話になった方です。

自分の年齢からすれば、此れからは出逢いよりも別れが多くなっていくのでしょう。

残った僕はアレコレひと時の感傷とともに思い出に浸り、残った身としては自分が残りの人生思うがままに生き抜くことと思います。

 

アノ方も「山村君は思いの儘に生き抜きなよ。」って言っておられました。

 

大変お世話になりました。有り難う御座いました。また一人景色が遠退いていく夏。