海の日のきょうは、マヤカレンダー「アハウ3」

 

古代メキシコ展に行って感じたことの一つに、その場にいる人の「古代マヤ・アステカ」の世界観の受けとり方、観覧している人の視座と時空を超えた繋がり方がポイントよ、というものでした。

 

個人によって見方や感じ方の感動ポイントは様々だし、古代マヤ・メキシコへの興味関心も色々なのですが、それ以外の「見えないもの」との関わり方が大事だということです。

 

今日は「祖先(アハウ)」の日で、時の荷には「世界、芸術、宇宙」というキーワードが入っているということもあるので、「世界観」について書いてみようと思います。

 

古代メキシコ展:世界の四隅を守る神の顔

 

黒曜石の加工石器ですが、4つの角は神の「怒り」を象徴しているともいえます。

 

直接的ではなく象徴的に、シンボル的、神話的に語られている時代背景や精神、信仰などを含めたものに思いを馳せる、能動的に創造・イメージする、と同時に「今」という時代に語りかけてくるような、自然に伝わってくる普遍的メッセージのような、言葉ではいえないけど、そこにある古代マヤアステカ民族の思想や芸術性のようなもの、生き方や姿勢みたいなものが、表象されていて、それは「物言わぬ骨」のように「沈黙」されているもの。

 

そういったものが「世界観」であろうし、受け取る側の世界観をキャッチするセンサーの有無であろうと思います。

 

たとえばつい先日、映画ロードショーとなった、スタジオジブリの『君たちはどう生きるか』をわかるのも、わからないのも、同じような世界観センサーが必要だろうと感じます。

作品の内容をわかることも大事だろうと思いますが、わかる・わからない、見える・見えない、生と死、などのように、とらえきれない決められない二元的なことを超えたところに立ち現れるものが、見た人に語りかけてくるメッセージなのだろうと思います。

 

 

 

 

そもそも世界はどうなっているのか、世界って存在するのか、などを考えることを「存在論」「オントロジー」といいますが、オントロジーにセンサーが開かれていると、見るもの感じるものが「現実」「実在」とは別に、パラレルに別ウインドウズが開かれて見えてくる感じです。

 

古代マヤの暦がすごいのは、体系であると同時に世界観を表象しているところです。

 

 

古代メキシコ展:書記とみられる女性の土偶

 

 

私のもとで学んでいる生徒さんに、アメリカのゴッドタレントで高評価を得たダンスチーム「アバンギャルディ」の踊りは、マヤの「フナブ・ク」だよーと伝えたら、驚いていました(笑)

 

 

 

 

 

 

今日も一日暑そうです晴れ

水分補給を忘れず、熱中症には気をつけて波